雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】漫画版遊戯王ARC-V読み返し:後編

 後編です、ではどうぞ。
【第六巻】
[表紙:EVE]
 いよいよラスボスのEVEが始動する事となる巻ですね。
 しかし、この後にはEXボスである零児(二戦目)が待っている為に『最後の戦い』ではない訳でして。
 思えば遊戯王にEXボスという概念が導入されているのって、原作である無印からなんですよね。ちょっと話題が逸れますが、東方projectの原点のSTG媒体にもEXボスの概念があるのは遊戯王のオマージュだったりするのでしょうか。
 この巻で色々な『謎』が解明しますが、特筆するとそれは『全て』ではなく、更に最終巻でも解き明かされないという終わり方を迎えます。
 その事については、七巻の記述で私なりに触れようと思います。

 紫雲院とは前巻でほぼ決着が着くので、この巻はEVE戦と伏線回収が主な立ち回りです。
 特に、漫画版における遊矢シリーズの真相には、初めて読んだ当時には思い切った設定をぶち込んでくるなと驚いた記憶がありますね。

 読み返してみて気付きましたが、EVEはアイザックの気持ちは知っていたとはっきりと言っていましたね。それでも彼を尊重していたというような展開だからこそ、この漫画ARC-Vは公式遊戯王作品でも指折りの優しい作品に仕上がったと思います。
 EVEのデッキはペンデュラム召喚に加え、「神科学因子」モンスター三体を駆使した融合、シンクロ、エクシーズという(当時の)EXデッキ特殊召喚法全てを導入した贅沢なデッキです。
 この事からも謎の一つがある訳ですね。EVE組にはエクシーズの『専門家』がいなかったという。
 そして、EVEを追い詰めると、いよいよ黒幕のG・O・Dが始動する事となります。
 そして改めて思いました。やはり彼は『マインドコントロールの擬人化』なのだろう、と。
 それを行う人は、対象に希望などを抱かれて自立心を持たれるのを嫌がるものですから。素直に自分に依存して欲しく、その為に常軌を逸した尽力をする訳です。
 うちの理事長もそうですね。入居者に『自立支援ノート』などという物を持たせているのは、建前だけと言ってよく、本心では自立して自分の元から離れていく事など許しはしていないと思われますから。
 しかし、G・O・Dの場合の方がやり方がうまい所ですね。理事長の場合はホームで思い通りに動かない重度の入居者に怒鳴り声をバンバン浴びせるとかして、他の入居者が嫌がる事を平気でしてしまいますし。
 本能の赴くままにやっていますから、G・O・Dのような計算高さは存在しておらず、言うなれば『理事長よりもG・O・Dの元にいたほうがまだマシ』と思えてしまう所です。
 後、G・O・Dが文明を滅ぼす手段が全ての者に幸福を与え、全員堕落させてしまうという話。
 何かこれも東方のエピソードを意識してるんじゃないかと思います。あちらでは妖怪に人を襲わせない為に食料を与えていた所、彼等を堕落させてしまっていたという設定がありますから。それを解消したのがスペルカード戦との事です、話が逸れましたが。
 ちなみに、トリロジーグはアニメGX、ヴルガータはアニメ5D'sのボス的な立ち位置がモチーフのカードですが、ダークホープはゼアルのどちらとも判断出来ない仕様です。そもそも、これだけ主人公のがモチーフですし。
 この辺り、吉田氏が自身が漫画版を務めた事とか、アニメ版に不信感を抱いていただろう事が影響していそうですね。アンチホープはエクシーズではないし、バリアンは使い辛いという事も関係していそうですが。
 最後に、個人的にミス・ディレクターに惹かれるものがありました。腋チラとかツリ目の眼鏡っ娘とかツボな要素が多いです。
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【第七巻】
[表紙:榊四兄弟]
 と、言う訳で漫画版遊矢シリーズは実は血の繋がった四人兄弟だったという事なんですよね。
 何て似ていない兄弟なんでしょうと思います。髪の色やら何やらが違いますし。まあ、アニメ版で作られた別人を漫画独自の設定にしたが故の弊害ですが。
 でもまあ、アニメ5D'sのイリアステル三皇帝のオマージュだと思いますね。あちらもとても同一人物の少年期、青年期、老年期とは思えない別人っぷりでしたから。
 EVEを乗っ取ったG・O・Dはラスボスにしては割りとあっさりと倒される事になりますね。この巻のメインはEXボスの零児となります。
 実は現時点(2020/06/09現在)でもG・O・DのOCG化はされていません。
 その辺り、この存在は『力とマインドコントロールの擬人化』という事があるのでしょう。そのような歪な概念を例え現実世界ではただの玩具であっても使わせたくないという吉田氏やスタッフのこだわりなのでしょう。
 似たような扱いのカードにヒドゥン・ナイト-フック-がありますね。あちらもカード性能的には問題無いにも関わらず、『某巨大掲示板の擬人化』という背景があるが為にそのような物を商品化したくないというスタッフの思惑があると思われます。
 そして、G・O・Dから解放される事となるEVEですが、彼女とアダムは再三に渡り『時空の狭間へと旅立った』と言及されていますから、別に死んだ訳ではないのでしょう。

 EVEとの決着が着いた後は、いよいよ本作最後となるVS零児(二戦目)となる訳ですね。
 これは、実はアニメ版とEXボスが同じ人を抜擢された訳ですよね。漫画ゼアルでもアニメと同じくアストラルが抜擢されていましたし。
 この辺り、例えアニメ版に不信感を抱いてもEXボスを同じにする等してリスペクトするという、吉田氏の律儀さを窺える所ですね。
 そして、零児はマフラーを某黒鉄の城の如くスクランダー状にさせて飛んだりとか、最後のアクションカード奪取の際には物凄く速く走ったりとか、やはり漫画版の彼は随所に天然っぽさが設けられていましたね(笑)。
 零児がG・O・Dの力を使って生み出したゼロゴッド・レイジの壊れ効果っぷりな事。攻撃が成立した時点で相手のライフが0になるというまさかの即死効果をデュエルでやってしまったという。
 この辺りも、こんな性能を無茶振りされ、OCGルールを熟知した彦久保氏は苦悩した事なのでしょうね(苦笑)。

 そして、決着が着き、最後には遊矢が当初計画していた通り、G・O・Dのカードは廃棄するに落ち着きます。
 この辺り、吉田氏は力やマインドコントロールというものに依存してはいけないという考えがあるのでしょう。
 しかし、このデュエルが始まる前に零児が『善にも悪にもなる』と言っていた辺り、力やマインドコントロールも使い方次第で有用なものとなるという考えもあると思われます。
 一つ例を挙げると、私にとっての綿月依姫と、そこに行き着かせる為のえげつない存在だったディヴァイン(アニメ5D's)を仕込まれた事ですね。
 ディヴァインの悪性は、依姫の美点の部分を真逆にして作ったという、かなり回りくどい手法が取られていました。そもそも登場する作品すら違います。
 その隠された包囲網に私は掛かり、マインドコントロールのような状態に陥ってしまったと考えられます。ディヴァインに平穏を壊されたから、その逆の存在である依姫を必要としないといけなくなるという感じで。
 というマインドコントロール状態となった私ですが、これは普通(?)のマインドコントロールとは様相がかなり違うものだったのでしょう。
 それは、依姫は優しさと厳しさを兼ねた性格をしていて、かつ敵キャラとして描かれていたので、依存する事も自己投影する事にも向いていないという性質だったからですね。
 故に、私は依姫へと憧れつつも新しいものを創らないといけないという考えになり、その結果紆余曲折あって文章執筆のスキルに開花し、東方小説を書ききるという事になりました。他にもそこへ至った要因がありますが、依姫を見出していなかったらどうなっていたか分からないです。
 このような自身の成長を促すマインドコントロールもある……そういう事がG・O・Dの力で生み出された《ゴッドアイズ・ファントムドラゴン》と《GO-DDD神零王ゼロゴット・レイジ》には籠められていたのではと思います。この二つはG・O・Dそのものと違ってOCG化されていますし。
 しかし、吉田氏はそういったケースも含めてマインドコントロールは望ましくないと考えておられるのでしょう。遊矢に『オレ達の戦いにG・O・Dは不要だ』等と言わせていた位ですからね。

 そして零児とのデュエルに遊矢が勝ち、G・O・Dを破棄して後はエンディングへと向かった訳ですが。
『かなり』この漫画ARC-Vには謎が残される形となっています。
 それもかなり多いので、ここで記述します。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
・遊斗、遊吾、遊里の三人が遊矢に肉体を失った後に憑依して人格が残り、かつ遊矢の体を自分のものに一時的に作り変える能力を得た経緯。
・EVE組にエクシーズ召喚の『専門家』がいなかった。
・G・O・Dを生み出した『扉(ゲート)』の向こうにいる種族とは何者なのか。
・G・O・Dが何故文明を滅ぼす事を目的とした破滅の権化な性質を持ったのか。
・本編の内容ではないが、コミックスのスケッチ紹介の際にアユの所で『漫画での登場はあるか?』と書かれていたが、結局登場しなかった。
・タイトルの『アークファイブ』が示すものは何なのか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 アニメ版ではアークファイブは超技術で造られた兵器だったという、『とってつけた』ような詳細でした(これも小野監督が反面教師にされる為にわざとやった事でしょう)。
 しかし、漫画版では最後までその詳細が明かされる事はありませんでした。
 これは、吉田氏が忘れているという事はないでしょう。最後の締めくくりに『運命の架け橋(アーク)』という表現を用いていますから。
 寧ろ、『わざと』ファイブが揃わない状況を作りまくっている感じですね。運命の架け橋……の部分では遊矢、零児に加え他の榊兄弟三人と遊勝と零王の七人が描かれ、EVE組は四人でしたし、最後に扉の向こうへと旅立つのは遊矢、零児、蓮、アイザックの四人で、しかもご丁寧に紫雲院を沢渡と黒咲に預けてわざわざ『五人になるのを避けて』すらいます。
 これらの事から、恐らく吉田氏は自身のこの作品から続編や派生作品を誰かに作って欲しいのだと思われます。
 それも、アニメ5D'sのようにディヴァインというえげつない存在を設けて無理矢理苦痛を与えて才能を開花させるような凶悪なやり方ではなく、心地良い展開の果てに気になる終わり方を用いる事によって『優しく』委ねたいという想いが籠められているのでしょう。
 なので、そんな吉田氏の心意気に応えたい気持ち、そして私自身がこの公式遊戯王で随一の優しい作品の続編を是非とも書いてみたいという気持ちが強いのが現状ですね。
 それなら、書いたらええやん(レスリングシリーズ風に)と思われる方が多いでしょう。
 しかし、それには問題があり、それは、
『デュエル構成』
 という事なのですよね。
 そう、私には小説を書くスキルはあれど、デュエル回しを構成するスキルが無いという事です。
 ネット上ではファンが手掛けた遊戯王の小説も拝めるという便利な世の中になった今日でして、その中でも私は『宍戸丈の奇天烈遊戯王』とか『マインドクラッシュは勘弁な!』には物凄く愛読させてもらうに至っています。
 加えて、その中で私は『よくこの人達は自分でデュエル構成まで出来るなあ』と驚かずにはいられない心境な訳なのですよね。文才もあってカード回しの構成力まであるというのは、天は二物を与えず、これは嘘だなとつくづく思わされてしまう程ですね。
 しかし、私にはデュエル構成のセンスがない為に遊戯王小説が書きたくても書けない……これが現実となってのしかかっている訳です。

 ともあれ、ここまで長文をお読みありがとうございました。
 このように、漫画版のARC-Vは、悪人と呼べる人が登場せず、G・O・Dも機械的な悪であり人間的な悪意を持ってない為に『悪のカリスマ』のような存在を渇望する人には物足りないかも知れませんが、それ以外の人には安定してオススメできる一品に仕上がっている事を最後に再度言及しておきます。
 もし興味を持った方は古本屋を探してみるといいでしょう。今では新品の本でも付属カードは抜かれている状態でしょうし。
※G・O・Dは『ディヴァインの影響力の擬人化』という意味合いもあったかも知れませんね。同じ『神』という意味ですし。
 ディヴァインの影響により生んだものは確かにあったが、それ以上に多くの人の苦悩を生み出した事を考慮して、吉田氏は『必要ない力』としたのでしょう。
 しかし、彼の存在がなければ私は依姫の価値を見出していない可能性が高く、つまりは小説執筆のスキルが目覚めていなかったかも知れないと考えると複雑な所です。