現時点でのこのブログのタイトルの『力が欲しい』ですね。これを私は今変えようかと思っている所です。
それは、今力を欲するのは建設的な願望では無くなりつつある事に起因します。
遊戯王二次小説の『マインドクラッシュは勘弁な!』にてこういうフレーズがあったのですよね。『そろそろ力をどう使うかを考えませんか?』という。
その台詞が私の心に残った訳なのです。力を欲するよりも、今自分が持っている力の使い方というものを考慮すべきなのだと。
まず、私が力を狂信的に求めるようになった理由を話しておかなければならないでしょう。
それが、今のホームの理事長と、RPGツクール2003作品である『虚ろいの都』にあります。
理事長はとにかく発言による力を持った人で、彼女が発言すれば入居者に対して『確実に勝てる』という有様です。例えその勝ち方が倫理観って何? というえげつないものであってもです。と言うか、理事長の勝ち方は大体そういう感じになります。
そもそもおかしいのですね。本来なら和平的な解決策が望ましいでしょう、殊更グループホームという心の拠り所の『はず』の場所であるなら。
そこに、『勝敗』という概念を持ち込まれ、かつ入居者は海原雄山との料理対決『以上』に勝てる見込みが薄い……というかほぼ0%な訳ですよね。
そういう環境で私が育って来た事に加えて、虚ろいの都の一つの台詞があります。
それは、主人公テムルが過去に母親を村人全員に殺された仇討ちとして、今度は自分が村人全員を殺害する(主人公は能力者なので、こういう芸当が出来てしまったようです)際の台詞です。
『恥じる事はないさ、正しいと思ってやったんだろ? だが力が足りてねえ、ゆえに悪だ』
この台詞と理事長の在り方が私の脳内で呪いのようにこびりつく事となりました。
理事長は正しいと思ってやっていて、かつ力があるから正義なんだ、だから理事長を『悪』に出来る程の力を手に入れたいという願望に私は長い間取り憑かれる事となったのです。
今までそういう考えだった私の考えが少し変わって来たのは、理事長の泊まりの日を自宅で過ごす事で回避する手段を確立した事と、前述の『マインドクラッシュは勘弁な!』の1フレーズ(丁度それを読む事になったのが、理事長回避の前日です)のお陰だという事です。
ここから私は改めて思うようになりました。必要なのは力をひたすら欲しがるのではなく、どう使うかであると。いくら理事長が『正義』になろうとも、正義という上っ面でしかないだろう、と。
要は、力を求めるという事は快適な生活になる事を盲信してお金を掛ければいいだろうという考えで不必要な物まで買い漁る行為のようでしょう。それよりも、必要な購入は最低限にして、それをどう扱うのかを考える方が理に叶っているというものです。
その事に私は今まで気付けない状態でしたね、理事長と関わる以上は。一億円の豪邸を見せつけられ続けたら、それだけが正しく、他は悪だと思ってしまうのも無理はない事だったと思いますね。
ともあれ、これから私は次なるホームの『キアヌ』に移転する話も進んでいますので、そこからやっと私らしい生き方はスタートするのではないかと感じる所です。
※マインド~以前に綿月依姫が霊夢に対して『あなたは力の使い方を間違ってる。修行が足りない』というほぼ同様の意味合いの台詞を言っていたのですけどね。
そんな私が数あるキャラクターの中でも特に好きな依姫の言よりも、テムルの暴言の方が私には印象強く残ってしまっていたという事です。霊夢は依姫に押されていたのに対して、理事長は常に勝者であったという事も関係しているのでしょう。