雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】『何となく』の理由考察

 漫画版『遊戯王ARC-V』にて、榊遊勝が『エンタメデュエル』をする理由として彼が挙げた答えがこれです。
 そう言う描写が行われた経緯についてですが、私は単に吉田伸氏が思い付かなかった訳ではないと思うのです。
 そして、私の考えはこうです。
『漫画ARC-Vの作風・世界観に合わせたが故』
 ですね。
 と言うのは、吉田氏はエンタメデュエルというものに対して現実で暗いニュースが多く報道されるのを見て、『明るく楽しいデュエル』を描写したい考えた事だとまず思われます。
 しかし、漫画版の人物・ストーリの描写はいがみ合いやリアルタイムで不幸になる表現が極めて少ない、優しい内容となっています。
 そこで吉田氏は思ったのでしょう。『漫画ARC-Vの世界観では、現実のように明るく楽しい娯楽に対する需要は高くない』と。
『何となく』という言葉を聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、ロマサガ1のエリスのシンボルを入手する時の選択肢の一つなのですよね。
 そこに『皇帝の奇病を治すため』というものがありますが、これ、何とこういうRPGの事件解決イベントにあるまじき『自然回復する』という展開になる事もあります。
 その時にこの選択肢を選んでも『皇帝は元気だぞ』という哀愁漂う台詞が出てきます。
 その展開に吉田氏は似ていると思ったのでしょう。漫画ARC-Vの世界観は現実のような悲劇が描写されていないが為に、遊勝がエンタメデュエルする理由に『暗い話題を吹き飛ばす』と言っても、それは皇帝が元気なのに皇帝の奇病を治すと主張するようなものだと言う事でしょう。

 それと、アニメゼアルの監督が現実とフィクションを敢えて混合していた事もあるのではないでしょうか。
 彼は、自分の崇拝していた5D'sの総帥が劇中で葬られたのを見て、その彼の無念を晴らそうとしたと思われます。何せ彼にとっては総帥は架空の存在か現実の存在かは重要ではなかったのですから。
 架空の人物の弔い合戦の意味合いでアニメを制作する。そんな常軌を逸した動機で作られたのが、アニメゼアルの倫理観が極めて理不尽になった事の一因でしょう。
 その事も反面教師になって、吉田氏は自身の描いた漫画ARC-Vをあくまで創作物だと割り切る事で、この作品の完成度を上げていったのだと思われます。