雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】久保帯人先生の真意と、そこから見た私の真意

 良くも悪くもその方面で有名になった久保帯人先生のネットでの発言の事についてですね。
 その中の一部の抜粋がこうです。
『努力する人間の足を引っ張るな』
 一見ただ某巨大掲示板住民の発言に腹を立てて感情的に言った発言のように聞こえる人もいるでしょう。
 しかし、それは私はそうではないだろうと最近になって思うようになりました。
 それは、久保先生本人のように成功する為には、目標というもの、自分が何をしたいかという方針をしっかりと持たなければならない事に集約されると感じますね。
 それに対して、人間というものは『何々をしたい』という感情よりも『何々をされたくない』という感情の方が上回る人の方が多い事でしょう。例外となる人はいるかも知れませんが、大体の人は後者の感情がより強く働くケースが多いと思われます。
 しかし、某巨大掲示板住民というものは自分達のルールに『全ての発言が許される』というものを(自分達で)取り決めています。
 そして、タチの悪い事に多くのケースが某巨大掲示板の枠組みの中でのみ適応させるという律儀な事はせず、他の健全な筈のサイトでもそのルールを押し付けてくるのですね。
 それと先程の、人間は何々をさせたくないという感情が上回るという話と掛け合わせるとこうですね。
 努力して成功するには『何々をしたい』という目標の感情が大きく必要だというのに、某巨大掲示板住民に好き放題な言動をされればその感情よりも『何々をされたくない』というものが上回る事になります。
 そう、それにより成功の為の感情よりも嫌な事の回避の感情が上回るようになり、これにより久保先生の言うように努力する人間は見事に『足を引っ張られる』事になるという訳ですね。
 こういう考えの元に、私は自分が一番何を望んでいるのかを見直してみました。
 すると、この事が分かりました。──私にとって一番重要なのは実は綿月依姫ではなかったという事ですね。
 私は元来彼女を見出す前に自然に思い入れを持っていった人物が以下のようになります。
魂魄妖夢東方project)]
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ウェンディ・ギャレットガン×ソード)]
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[龍亞(遊戯王5D's)]
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 ……こうして思い返してみると、彼女達は未熟だったり非力だったりと、私の趣味は典型的な判官贔屓であった事がよく分かる所ですね。
 しかも、それぞれ服の色、瞳の色、髪に緑色が含まれていて、奇しくも私の好きな色も緑なのです。
 これが私の中で長年捻じ曲げられてしまっていた理由、それは紛れもなく遊戯王5D'sにある事は明白です。
 この作品で龍亞がディヴァインにも負けて黒星三連続となった挙句に彼に『片割れは何の取柄もないカスだったようだな』とストーリー上無意味な暴言を吐かれ。
 その後はダークシグナー化したカーリーやミスティをいった龍亞とは別の人達が彼に報復をしていく展開となる為に龍亞自身にリベンジの機会が与えられないという龍亞の視点で見ればカタルシスとは何かという哲学になる始末だった訳ですね。
 しかも、ディヴァインは現実に崇拝者が大量に増産されている為に、腹の虫が収まらない私はネットで彼の批判をするしかなかった所に、その崇拝者と思しき一人から『批判される』という事になった訳ですね。
 なので、ディヴァインの批判をしないで鬱憤を晴らすべく、彼と正反対の善性を持つ綿月依姫に私は入れ込んでいったのです。
 これは偶然ではなく、ZUN氏と小野勝巳監督が共闘して仕込んだ事でしょう。何せ、依姫が本格的に活躍し始める儚月抄中巻の発売の丁度一週間後にディヴァインの件の暴言の回があった訳ですから。
 こういう事があったから、私は本来一番自分が大切にするものというのを見失っていたという事ですね。
 しかし、これは無意味ではなかったでしょう。その十年後私は理事長の正義の暴挙の数々に嬲られる事になる訳ですから、依姫という強者にも善がいる事を知っていなければ私は理事長が原因で強者全てを憎む事になっていた可能性が濃厚なのですね。
 そして、私の根本が判官贔屓であった事は依姫を見出した後でも実は変わる事はなかったようですね。
 自作の東方小説では黒銀勇美は依姫の下で成長するという展開になっていきましたし、神無月の巫女リメイク小説では八雲泉美は機体スペックが他の主役三人に劣る所を自らの頭脳でカバーするという内容にしていますし。
判官贔屓』。これが私が一番やりたかった事だと分かる事が出来ました。
 不遇な人を一歩踏み出させるには強い善人の力が必要な事を学びましたが、一番はその不遇な人が前に進めるようになる事を私は望んでいるという事でしょう。