雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】ガン×ソードの個人的見解

 キャッチフレーズ『痛快娯楽復讐劇』のこの作品。
 それが意味する所は単純な勧善懲悪作品という事ではなく、作品の見方が視聴者に委ねられていて、決まりきった教訓ではなくあくまでエンターテイメントという意味合いが籠められているようです。
 なので、谷口監督のその意向を尊重して、この記事で書く内容はあくまで私の見解である事を断っておきます。

 さて、この記事で取り扱うのは当作品のカギ爪の男が行った大規模な行為である『幸せの時計画』についてです。
 この行為は分かりやすい悪党がやりがちな『支配』ではなく、その星の全ての住人の怒りや暴力を無意識レベルで抑制してしまおうという、寧ろ平和に導けそうな計画だった訳です。
 しかし、この計画は部下のシミュレートの段階で100%失敗するという結果が出ていました。その事を踏まえてここから私は、もし幸せの時計画が遂行されていたらどうなったかという考察をしたいと思います。
 結論から言わせて頂くと、人々はより不幸になり、最悪その星の住人は滅亡するというのが私の考えです。

 それは、『悪』の要素が単純な怒りや暴力から来るものだけではないからです。例えば他人を政治的に財産を略奪するような行為には暴力は伴わないでしょう。
 そして極め付きとして、最も低俗かつ非生産的な悪であるいじめが蔓延するだろうという事も考えられますね。
 その理由は、いじめに対して誰しもが怒りが抑制されて『冷静』になってしまう事により、誰もいじめを咎めようとはしなくなると思われます。
 この場合の冷静さとは、正に『無関心』と似たものになってきますね。
 そんな、悪に対して怒りを覚える人がいない世界では、それを阻止する役職である警察官になる事を積極的になる事を望む人がいなくなり、教育面ではいじめ防止の為の指導も衰退していくでしょう。
 そう、怒りとは悪を好きなようにさせない為に必要な感情と言えるのです。

 そして、この作品のヒロインであるウェンディの良識は、優しさと共に怒りの感情があったからこそというのもそういう視点で見ると分かってきますね。
 カギ爪の男がウェンディとの対談の後に『もっと早く出会っていれば』と顧みるような事を言ったのは、もしかしたらウェンディの善性が怒りの感情無しにはなし得なかった事が分かったがもう彼にはやり直す時間が無かったからかも知れませんね。
 勿論、怒りは周りの人間に不幸をもたらす事を忘れてはいけませんが、大切なのは怒りを捨てるのではなくウェンディのように有効に使っていく事ではないでしょうか。

 最後に他作品を持ち出す事になりますが、『神無月の巫女』の主人公の来栖川姫子が幸せの時計画が遂行された世界の人間のような存在とイメージしながら谷口監督は『ガン×ソード』を作ったのかも知れません。
 彼女は周りから陰湿かつ苛烈ないじめを受けたにも関わらず、それらの人達を憎むどころかいかに千歌音を愛する人達かと、あろう事か『尊敬』すらしていました。
 このような聖人のような人ばかりになれば悪は野放しになる、そう思いながら谷口監督はこの作品を作っていったのでしょう。