以前ネットで私は遊戯王5D'sの登場人物であるディヴァインが常軌を逸した外道であった為に彼の事を大きく批判しないと腹の虫が収まらない状態だったのでそうしていました。
すると、それを『都合により匿名』という、BBSで便宜上そう名乗っているが要はネット上に蔓延している名無しの一人に『中傷』だと非難された訳ですね。
なので、その後は私も言葉を選んでいなかったかも知れないと思い、言葉を選んで否定していたのですが。
どうやら、否定そのものが彼女(文脈から女性だと判断出来ます)には中傷以外の何物でもなかった訳で、他のサイトで私の事を散々非難している所を偶然目にしてしまった訳です。
どうも話が噛み合わないのをずっと私は引きずっていましたが、今日にてその彼女達の考え方というのが見えてきたと思いますので、それをここに記します。
まず、名無し故に文脈で判断しなくてはいけないのですが、その人のネタ投稿内容を見ていると、悪い事自体は分かっていると感じました。
それでいて、最終的に悪事を咎めずにその悪役の良い所だけを評価している所から判断して、私はそういった『ディヴァイン崇拝者』の一つの理論は以下の通りだという結論に至りました。
『悪い事≠やってはいけない事』
と認識しているだろうという事に。
つまり、ディヴァイン崇拝者にとって、悪い事とは食事の好みや趣味といった範疇と同じ感覚での認識になっているだろうという事ですね。
なので、彼女にとってはポテトチップスのようなジャンクフードを好んで食べるような事だけでそこまで非難されるのが納得いかなかった、という事でしょう。
そのポテトチップスを食べるのと同等にされているのがサイコデュエルでの龍亞の虐待の果てにカス呼ばわりとか、カーリーの殺害とか、トビーを電流責めにして殺害といった数々の非道好意なのですから、彼女の感性が最早人間のものとは逸脱している事が伺えるでしょう。
これは、創作物で歴史的犯罪者に憧れる若き天才という悪役と同じような感性と言えるでしょう。そのような人達が現実に数多く存在いるのだから堪ったものではありませんね。
それでいて、いや寧ろそのような感性があるからこそというべきでしょうか、そういった人達は逆に人間らしいルールの把握が一般人よりも得意である事も忘れてはいけないでしょう。だから、彼女が健常者のように振る舞っていたのに私は惑わされてしまった訳です。
これは創作物だと、裁判所という人間のルールを逆用して人間への復讐に利用したクロノトリガーのヤクラ13世なんかがそういう人達のオマージュとなっているのでしょう。
後は人間の感性は理解しているが共感はしていなかった、東方茨歌仙の茨華仙なんかもその類いでしょう(それがいい事として描かれているので、この作品を見る時は注意が必要です)。そういう人種にZUN氏がなりきって描いたという事だと思われますね。
実際にそのような感性で描かれたのが、神無月の巫女だったりアニメ遊戯王ゼアルだったりする訳ですね。
これらの作品が一部の人にのみしか絶賛されてないのは、ちまちまと人間のルールに合わせるフリをしているのがまどろっこしいからでしょう。
吉田伸氏は災難だったでしょう。その後者のアニメの脚本を書かなければいけない役職だったのですから。彼の漫画作品の優しい描写を見れば、彼がそういった感性を嫌っていただろう事は想像に難くないですね。
そして、小野勝巳監督はそのような崇拝者を増産して何がしたかったかという事になりますね。
そういった人間の倫理観を踏みにじるような作品が作られるからこそ、自分は倫理観を爆発的に大切にしようとする、そういう人達の発掘が真の狙いだったのでしょう。
だからこそ、ポケモンや鬼滅の刃といった倫理観が大々的に大切にされて、かつ世界の歴史に名を刻む程の日本の誇りが生まれたのも忘れてはならないという事ですね。