[欽ちゃんの仮装大賞]
有名な番組ですから、皆さんも好き嫌いはともかくとして、知っている人はとても多いと思われます。私も好きな番組でした。
……そう、過去形になろうとしているのでですよね。恐らくそれは今までの展開から確固たるものとなるでしょう。
その理由は、まず前回の仮装大賞からの話になりますね(又吉直樹氏が審査員になった時の回です)。
あの時は仮装の評価を厳しくした事をウリにしていました。そして、私はそこまで見ていなかったのですが、恐らく芸能人参加の作品が史上初の『0点』になるという事態にまでなっていました。
なので、今回の仮装大賞にも私は不安を感じていました。そして、その不安は現実のものとなりました。
今回も厳しい評価がウリに出されていたのです。先出6作品の内、合格が僅か2作品となるという事態になっていました。
そこで、私はもうその放送を見る意欲が失せ、チャンネルを変えました。
私は、今までのまったりした流れで行われる仮装大賞が好きだったのですよ。それがなくなったらこの番組の魅力というものを感じられなくなってしまいます。
一緒に見ていた職員さんも『そんなに厳しくしたら(出場者が)来なくなるんじゃないの?』と言っていた位なので、私の価値観はそこまで個人的なものでもないと言えるのではないでしょうか?
しかし、結局視聴者というのはそういうのが好きなんですよね。
このフレイザードの台詞で例えると、さしずめ『傷つくのが嫌なら仮装大賞に参加してくるな』といった主張でしょう。
それがスタッフと視聴者の意見の一致であるならば私には言及を挟む権利はないという事になりますが、ここで一言だけ言わせて下さい。
視聴者は断じて『厳しさ』に価値を見出している訳ではないという事です。もし、それに価値を感じているのなら、東方儚月抄や綿月依姫の人気はもう少し上がるでしょうから。
ZUN氏はこういう風潮になる事を予想して、大衆は決して『自分への厳しさ』を求めてはいない事を明白にする試みが一因で、儚月抄の展開をああいう形にしたと思われますね。
もう一回フレイザードの台詞で例えると『オレ(達)は厳しいのが好きなんじゃねえ、他人が厳しくされるのが好きなんだよ!』という事でしょう。
他人が厳しくされる一方で、自分は厳しくされていない→相対的に自分が優遇されていると感じる人間の本能からの衝動と考えるのが良さそうですね。
それでいて、視聴者は厳しさそのものに価値を見出していると勘違いしながら観ているので、言い方が良くないですが『タチが悪い』です。
……こういう人の成長に繋がらない、大衆の快楽の肥やしとなるような厳しさは私は望まないですね。ウェンディ・ギャレットや綿月依姫のような、成長を促す『優しさを兼ねた厳しさ』というものが私は欲しいです。
番組の方針がそうなったなら、『観ない』事を私が心掛けるのが筋でしょうから『今まで思い出をありがとう』とだけ言っておきましょう。
しかし、どうもこの風潮は新規に入って来たスタッフや今までのスタッフがネットの価値観に感化されたように思えてならないのです。なので、もしそうなら『現実にまで手を出さないで下さい』という事は言っておきたいですね。
後は『チコちゃん』や最近始まったジャニーズが出演する、キャッチフレーズが『甘くないバラエティー番組』な番組等にもその価値観は籠められていると思いますね。
このままだと、世間の思想がフレイザード染みたものばかりになって、世の中が窮屈になってしまうのではないかという不安があります。
※ちなみに、フレイザードは『悪役名簿』というサイトでの評価で、『どうしようもない奴』という総評を下されており、その事からも真っ当な人物ではない事は分かるでしょう。