雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】『子供賛歌』アニメ、遊戯王ゼアル

 突然ですが、アニメ遊戯王ゼアルを称する上で、最も適切な表現はこの『子供賛歌』ではないかと思うに至りました。
※語弊がないように断っておきますと、あくまで『アニメ版』です。
 まず、これは『ジョジョの奇妙な冒険』の一貫したテーマである『人間賛歌』を意識しています。
 これが意味する所は、『人間の問題は人間自身が解決する』との事です。
 つまり、話をアニメゼアルに戻すと、この作品は『子供の問題は子供が解決する』という流れになってきます。
 そう言えば子供を称賛した、子供向けを意識したアニメらしい素晴らしいテーマになるのですが……そうは問屋が卸しません。

 前から私がちらほら言っている通り、このアニメの監督は自身が投影していた前作5D'sの総帥が葬られたという展開に納得をしていないと思われます。
 そこで、総帥=自分がミスティ・ローラという理路整然とした『大人』の介入によって葬られたのですから、そういうしっかりとした大人への恨みは抱くでしょう。逆恨みという奴ですが。
 それにより、総帥=自分のような悪を大人が裁く事のない『理想郷』を築き上げたのがアニメゼアルの世界という事でしょう。
 そして、しっかりした大人が介入しない為に、このアニメは子供だけで物事を解決しようとする……それが作品全体の流れに『なってしまって』います。
 なので、登場人物は皆精神的に未熟な子供達同士のいざこざとなっており、そのやり取りに建設性が薄かったように私は感じました。『ラスボス戦』だけは遊馬とシャークが互いを認め合描写がありますが、今までの展開を考えれば『最後だけ和解させておけばいいだろう』という考え方に他ならないでしょう。
 勿論、未熟な子供同士が彼等自身の手で物事を解決していこうとする作品は数多くありますが、このアニメゼアルに関しては、監督自身のそういう感性に基づいて作られてしまっていると考えられるので、登場人物には手綱が引かれてなかった、そのように思えました。
 それでも、子供同士で物事の解決をしようとする描写は生き生きとはしてはいますから、それが人気も高い一因となっているのでしょう。
 しかし、その『子供賛歌』という点を昇華した作品は例えば『京騒戯画』辺りの方がオススメしたいです。このアニメは監督自身が客観的に制作している為、物語、人物に統率が取れていましたから。