以前に『ソードアート・オンラインの元ネタ』と銘打った記事のアクセスが多くなった事に『セルフあやかり』って意味合いでこういうタイトルにしました。
しかし、今回の鬼滅の刃の元ネタと言っていいのかは少々微妙な所だとは思いますね。
でも、これから紹介する『宍戸丈の奇天烈遊戯王』は鬼滅の刃の誕生には欠かす事が出来なかったものだと感じますね。
この作品はネットで遊戯王GXの二次創作として長きに渡り連載されていましたが、残念ながら『離別』のサブタイトルの回で断筆されている状態です。
そして、特筆すべきはその完成度でしょう。
遊戯王GXの二次創作ではありますが、他のネットの二次創作小説にありがちな『オリジナルの主人公を設けて、後はほとんど原作に沿う形』という産物とは無縁で、本家GXでは見られなかったオリジナルの展開がてんこ盛りで、寧ろそれが大半のメインとなっているという徹底っぷりです。
加えて濃厚な三人称描写、ストーリーもデュエルも完成度が高い、更には『優しさ』がテーマだけに安心できる展開、更に主人公達がプロデュエリストとなって億単位で稼ぐまでに成長するというネット小説らしい大出世要素も盛り込まれて読み応え抜群な一品なのですね。
そして、何を隠そうハリー・ポッター等を差し置いて私が今まで読んだ小説の中で一番面白いと感じた……それだけのポテンシャルがこの小説には感じていました。
では、話を鬼滅の刃に戻すと、この作品の誕生に件の奇天烈遊戯王が影響しているのではないかというのが私の見解という事なのですよね。
そう思ったのは、まず鬼滅の刃の登場人物の一人である『富岡義勇』。彼を最初に私が見た時、真っ先に『カイザー亮』にそっくりだ、と感じました。
実際は全体的にそこまで似ていなかったのですが、作業所の内職でシール列伝を取り扱った際の絵柄の彼がカイザーにそっくりだった訳ですけど。
しかし、話を小耳に挟んでみれば、富岡の立ち位置は非常にカイザーの全盛期にそっくりだったと感じるに至りました。
クールで思慮深く、かつ強くて格好良い……正に全盛期のカイザーそのものな運用であると見えてくる所ですね。
この事から、富岡は作者が『堕ちないカイザー亮』的なポジションにしたのだろうと私はそういう考えに達しました。
加えて、『きめつのやいば』と『きてれつゆうぎおう』の語呂やら発音は割りと似ている辺り、意識してこのタイトルにしたのでしょう。更には鬼滅の刃の作中の名称である『鬼殺隊』。これは鬼殺は『ころすき』→コロ助の捩りだと思われますね。
(奇天烈遊戯王の初期のサブタイトルは『○○ナリ』とキテレツ大百科のコロ助の口癖を意識したものになっていましたから)
そして、奇天烈遊戯王の主人公は宍戸丈(ししどじょう)、鬼滅の刃の主人公は竃門炭次郎(かまどたんじろう)と、仮名で書くとそこそこ同じ文字が出てくる仕様になっています。
性格も参考にしたと思われますね。炭次郎はとにかく誠実なキャラクターで、丈は相手の悪性よりも善性を見出す事に長けていたりと、模範的な人物像に設定されています。
これらの事から私は期待の意味合いが多く締める中で思うのですよね。
『奇天烈遊戯王の断筆があったからこそ、鬼滅の刃は誕生した』のではないか、と。
大ヒット漫画の誕生の切っ掛けになった一因が小説? と思う人の方が多いのではないでしょうか?
しかし、『漫画家を目指す人は漫画を読んじゃいけない』という言葉もあります。
勿論人気を博した漫画家にも憧れの漫画や漫画家を目指してそこまで辿り着いた人は多くいるでしょう。
でも、漫画家を目指す上では漫画作品を面白いと思っているだけでは到底辿り着けない境地であり、様々な事柄やスキルを備えていかなければならない事も事実でしょう。
なので、漫画を描く上で『小説作品からインスピレーションを受けた』という可能性は十分に考えても良い事でしょう。寧ろ、小説作品を読んで想像力を掻き立てられて洗練された絵を描くに至る……至極真っ当な話ではないでしょうか。
そして、知っての通り鬼滅の刃は空前絶後の大ヒットを生み出した漫画です。なので、その裏に極めて完成度の高い奇天烈遊戯王の存在がある、その可能性は高いのではと私は思う所ですね。
なので、断筆はされましたが小説自体はちゃんと残っているので、ネット小説を快適に読める手法のあって、かつ興味のある方は一度『宍戸丈の奇天烈遊戯王』を読んでみてはいかがでしょうか。