【02月25日(土)】
私が軌道に乗って行く事になるのは、26日からという事になるのでしょうね。
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様々な観点から、怒首領欲とは決着が着いたと思いたいですね。
創作物では悪の首領を倒して少し事後処理をして終了となる訳ですが、現実では寧ろここからが始まりとなるというのが良く分かる所ですね。
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[午前7時44分]
朝から張さんだったりして立て込んでいる感じですね。
怒首領欲には一つの苦難に遊戯王のユニオンモンスターのように付属の力を用意して装着させて強化する力が存在していて、その残りだろうという事ですね。
この辺り、怒首領欲の考え方は魔物とは勇者の経験値だけに過ぎないから、魔物を強化して経験値の増幅を行い勇者のレベルアップを図ろうとする考えだったという事なのでしょう。
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いい加減、そろそろ部屋の掃除機をかけたいと思う所なのですよね。それを今日やりたいと思う所存でして。
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パロディアスの機刃は、本格的に暖かくなってから再開するとしますかね。なので、今日はまだイマイチという事でして。
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《アニメ版遊戯王ゼアルの再整理》
この問題作と取るか最高傑作と取るかに真っ二つに分かれて基本的には評価の低いアニメに就いてもう一階整理しておこうと思います。
まず、この作品は前作の5D'sの対比から大損をしている事であるというのが第一となっている感じですね。
前作では誇り高い武人的な敵やライバルが物語のメインを務めて、小悪党的な小物はその引き立て役という対比のように作られているという善悪二元論に近い作りとなっていましたので。
それが敵味方という境界ではなく武人と小悪党という境界であり武人は敵にも味方にもいるというのがこの作品の魅力だった訳ですが。
その事が逆に二元論思想を植え付けてしまうという依存を生み出す難儀な作りだったという事を今思う訳ですね。
その後ですから、アニメゼアルでディヴァイン崇拝者の桑原智監督がやりたかった『卑劣な事をする悪でも考えや同情の余地はあり、それに目を向けていかせたい』というのが非常にやりづらかっただろうという事ですね。
何せ、前作では引き立て役に過ぎなかったタイプの敵を今作ではメインディッシュとして扱うという訳だったのですから。
しかし、その描写は5D'sの事を抜きにすればディヴァイン崇拝者としては結構説得力があり、目を向ける価値は十分にあるというレベルにはなっていたと今思いますね。
IVが事後もチャンプの座に居座っているのが際立って見えたのは奇天烈遊戯王でペガサスがキースに再起のチャンスを与えてプロデュエリスト復活させていたり、漫画版の方が細かい所を意識して配慮あったりするのも対比となってしまっていますが。
それは小説や漫画ですから、アニメよりも細かい所を扱う事が出来て当然というものでしょう。それをアニメである今作と比べるのは酷というものでしょう。
もう一つのディヴァイン崇拝アニメである神無月の巫女はえげつないものでしたからね。イズミの描写がまるで正義をやり遂げたというようなものであって、G1メガトロンのような正義の在り方の一つのように描かれていましたから。
それに対して、IVは曲りなりにも事情があったという描写がなされていましたので。
5D'sの対比以外での問題となっていたのは、この二つでしょう。
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・監督が他の人のやり方、ネットでの意見を意識しすぎてそれに触れすぎる
・一度決めた取り決めを破る癖が強い
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この辺りは、ディヴァインを自分だと思ってしまう人であればありのままの完全な自分には自信が持てなくなってしまっていたのは仕方のない事ではなかろうかと思いますね。
それでも、情け容赦のないディヴァイン崇拝者という人種の中では曲がりなりにも丁寧に悪人の善性に目を向けさせようとしていて、そのような人達としては穏健な人物だろうという考察が出来ますね。
やはり問題はあれど、伊達にはアニメ映画監督が務ってはいない訳ですから、ある種の実力は十分にあるという事なのでしょう。
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[午前9時15分]
予報に反して快晴で良かったですね。これで散歩も申し分なく出来るというものでしょう。
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サイコパスって、『自分が人とは違う特別な存在でなければいけない』というのと『他人のやっている事に便乗してでないと行動出来ない』という矛盾を本能的に抱えていて実に難儀というものですね。
このような矛盾があるから真っ当なコミュニケーションを取るのが難しくなっているのですよね。
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洗濯物ラッシュで洗えるのに時間が掛かった訳ですよね。つまり出遅れてしまったという事でして。
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[午前9時59分]
二週間ぶりに部屋に掃除機を掛けられて、実にいい感じですね。
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《怒首領欲に賛同者》
前日話した通り、怒首領欲は奇天烈遊戯王の作者の正体がクレヨンしんちゃんだった事が起因して彼をお亡くなりにさせただろうと話しました。
そのような非人道的な暴挙であるにも関わらずに奇天烈遊戯王のアニメ化及びその代わりとしようと私に作らせようとした遊戯王エイス・デイズを渇望していた現実の人間もいるという事に触れておきましょう。
それが、近年の話になると『遊戯王セブンス』や『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』だろうという事ですね。
自然な流れとして、奇天烈遊戯王を渇望した人々はクレヨンしんちゃんは極めて迷惑な存在だった事は想像に難くないでしょう。
そして、クレヨンしんちゃんの主人公一家は『野原家』です。
野原はFF2の反乱軍の合言葉の『のばら』に非常に似ています。
その合言葉はあろう事か敵帝国に知れ渡っているというのが良くネタにされますね。
帝国の戦士である『キャプテン』にその合言葉を言うと『きさまら反乱軍だな!』と言われて戦闘になってしまいます。
そののばらの敵であるキャプテンを怒首領欲やその賛同者がリスペクトしたのだろうという事ですね。
その辺りは私も前ホームで非人道的な扱いを受けた経緯からそのホームが掲げる『ぶどう』のキーワード。
これを鉄腕DASHで食害するシーンが描かれていた雷獣(ハクビシン)をリスペクトしてこのブログのタイトルに改名した経緯があるので、それと発想が同じという事でしょう。
まず遊戯王セブンスですね。これの第三章でラッシュデュエルに反対の重機クラブがラッシュデュエルのレジスタンスを駆逐しようとする様が描かれました。
その様がまるでパラメキア帝国を彷彿とさせた訳ですね。
そのリーダーの六葉アサナの名前が、『むつばあさな』と言う事で昭和の時代だと恐らく日本一有名だっただろう主将の意味合いでのキャプテンが見えてくるという事です。
次に、ドンブラザーズですね。
この作品はチラリと観たら平成ライダーだとみまごうような雰囲気だったり、戦隊なのに主人公がライダー(バイク乗り)であったりとどことなく不穏なものを感じていました。
その主人公の人間体の名前が桃井タロウなのですね。
この安直な名前に元ネタなどないだろうと思わせるのが狙いだったように感じます。
キャプテンとはFF2の場合『陸軍大尉』になる訳ですね。
そこで、『ももいたろう』と『たいい』という文字が通じる事になっている訳です。
そしてタイトルの『あばたろう』も『むつばあさな』という事でしょう。つまり、この二作は同志だと考えられる訳ですね。OPもどことなく似た曲調でしたし。
そして、この画像の通りキャプテンは見事な緑づくめとなっています。そう、今まで申しているように、コチ・マルティノッジは緑髪に緑の和服にするというインスピレーションを私に植え付けてある訳ですね。
即ち、コチが緑なのはこのキャプテンをリスペクトしていたからであり、私が物心ついた時から緑色が好きになっていたのもそれを慣行させやすくする為だったという子供の時からの私の運命を怒首領欲に操られていただろうという事ですね。
そして、暴かれたらまずいのにこうしてヒントを残してあるという事。
それは人の運命や考え方に干渉するという暴挙に出るからには、暴かれるようなヒントを設けてそれをされたら権利が放棄される等というルールがあったのでしょうかね。
※この記事をドンブラザーズの最終回の一日前に書けて感無量ですね。
これもクロームブックと画像サイズ変更アプリがあったからこそですね。
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《名探偵コナン》
サブタイトルが名称となっていたから三週続くかと思っていたら今週で完結して良かったですね。
やはりコナンは黒の組織絡みの時以外は多くて二週というのが理想ですね。
今回の小五郎は殴られたのをいい事にコナンに発言を捏造されまくるという普段の展開では余り無いので笑ってしまいました。
実際にドライダイバースーツがカナヅチでも泳げるのかという所を知りたい所ですね。
鍋は無事で良かったって感じです。EDに入る前がこんな不穏な事って今まで少なかったですからね。
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《人生の楽園》
仕事を辞めると人との関わり合いが減るというのは肝に免じておきたい格言ですね。
なので、私も小説家になってからも人と関わる場所が欲しいので作業所通いは締切差し迫った時以外週二回程でも通っておきたいと思う所です。
娘の喜んでいた姿から焼き芋と図書室という風変わりな組み合わせという感慨深い経緯でしたね。そして、この組み合わせが面白い化学反応を生み出していると感じます。
焼き芋ポタージュが美味しそうですね。私は読書も好きですから、機会があったら味わってみたいと思った次第です。
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