雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】戦闘力描写とエゴ

【雑記】戦闘力描写とエゴ
 まず私は今まで結構な作品となる小説を書いてきましたが、そのどれもであっても『登場人物の戦闘能力』というものには追求していないという事に気づきましたね。
 というのも、現実では身体能力は鍛錬は努力が必要になってそれを得る為に切磋琢磨しないと手に入らないから追求する意味があるのですが。
 創作物ではそうはならない訳ですよね。言ってしまえば作家の手腕一つで物理的に強いキャラクターというものは簡単に作れてしまうのですから。
 要は、現実では地球を破壊する程の力を得るなんて事は夢物語もいい所ですが、創作物では出せばあっさりと表現出来てしまう訳ですから。
 そういう事があって、私は戦闘能力の追求を自身の小説で行ってこなかった訳です。
 勿論、登場人物が努力や鍛錬によって程良く筋肉が乗っていたり、格好良いアクションをするという描写はありますが、それはあくまで『しっかり者』とか『頭が切れる』とか『みんなのまとめ役』というような人物の魅力の表現の内の一部という構図になっていたという事ですね。
 しかし、そういう登場人物の戦闘能力に憧れるユーザーというのは多いのも事実であって、その集大成とも言えるのが『ドラゴンボールZの熱狂的人気』であると言えると思います。
 でも、私は登場人物の物理的強さを描く為にそういう描写を決してしたくはないと考える訳ですね。
 それは、人間の表現力には限界があるという所にあります。
 いくら作家が登場人物を強いと想定して描いても、それが如何に強いかという事を伝えるのがそのままでは困難になるからでしょう。
 登場人物同士が如何にハイレベルな戦いをしていると想定して描写して行っても、それがどう強いのかが分かりづらいというものですから。
 そこでもう一つ私が問題視する要素である『引き立て役』という概念が設けられる事にどうしてもなってしまう訳ですね。
 要は噛ませ犬にされる存在が物理的強さを表現する作品には必要不可欠となってしまうという事ですね。
『誰々が手も足も出なかった敵に主人公が勝つ事で如何に主人公が強いかの表現になる』これが多用されるという訳です。
 その一例がこの方々という事でしょう。
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ヤムチャドラゴンボールZ
ガゼルマンセイウチンキン肉マンII世
・龍亞(遊戯王5D's)
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 こういう扱いを受けるキャラクターを出したくないというのも、私が登場人物の物理的強さを追求した小説を書かなかったかという事に繋がる訳ですね。
 そして、この表現が最悪の形で出力されたのがミスター・フルスイングの作者が読み切り時代に描いた『ループシューターズ』にあるでしょう。
 主人公の強さを表現する為に万葉という努力家のヒロインがビリヤードに手を出して僅か数ヶ月で頭角を現したヴィランである一文字にあっさりと敗退し、かつ彼とその取り巻きから辱めを受けるという凄惨な描写がなされた訳です。
 これが、引き立てて強さを表現する最悪にして合理的の極みと言えるだろうという事ですね。
 引き立て役がただ負けるだけでなく、その敵に酷い目に遭わされる事によって『如何に負けてはいけない戦いに主人公は勝てるのか』という一面の強調となるという事なのです。
 そして、これに心的外傷を負っただろう『ARIA』や『あまんちゅ!』の作者である天野こずえ先生に心境の変化が現れただろうという事ですね。
 これらの漫画で彼女を知っている人には意外かも知れませんが、彼女はそれ以前には実はバトル漫画をお描きになられていたのですよね。
 それをARIAからやめたのは、自分もバトルを描く際にそういう表現を少なからずしていた事への内省の意味も籠めて『もう自分はバトル漫画を描かない』と心に決めたと思われるという事ですね。
 一方で、ゴルゴ13が未だに連載されておりこち亀に並ぶ日本の大長寿漫画の一角なのにも関係しているのではという事ですね。
 それは、主人公のデューク東郷がスナイパーという一撃必殺の仕事をしているからという事にあるでしょう。
 つまり、確実に敵を仕留めるから、つまり『誰々よりも強い』という表現をする必要がない為に引き立て役を出さずに済んだ事からこの長い連載期間を確立する事が出来たのではないかという事ですね。逆にドラゴンボールZはその『誰々よりも強い』という表現で事を進めるのにとうとう魔人ブウ編で限界が来たのだろうという事でしょう。
 そのゴルゴ13のライバルであるこち亀に関してもそういう事が言えるでしょう。この漫画は色々な事柄・キャラクターを取り扱っているがこそに『全てがメインディッシュ』となっていて劣る話題、優れた話題という概念が無くて全部に意味がなされていたからに他ならないだろうという事だと私は考えます。
 こういう事なので、私は今までもそしてこれからも登場人物の物理的強さを追求した作品は手掛けたくないという事ですね。