雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】戦闘力描写の抱える矛盾

【雑記】戦闘力描写の抱える矛盾
 昨日の記事で私は物理的に強いキャラクターの描写に重点を置きたくないのが何故かという事を書きましたが、今日はそれに関する追加の内容を書かせてもらいます。
 それは、まず人間には群れを強くする為の本能として強者をリーダーにする為にそれに対して自己を重ね合わせるという性質の他に。
 同時に群れを弱体化させない為に弱者に対して憎しみを抱き排斥しようとする実に反倫理的な衝動までもを持っているという厄介極まりない生き物だという事なのですよね。
 なので昨日の記事に絡めて言うと、ヤムチャのような引き立て役には憎しみや嘲笑の感情がどうしても生まれてしまうという事になるのですよね。
 しかし、そもそもがそういう物理的に強いキャラクターが活躍するような作品を観るという時に抱く感情というものが優越感を感じて自分が強いんだぞというような心地よい気持ちを味わう為という事にある訳ですね。
 そうなると『矛盾』する訳です。何せ気持ち良くなる為に強い人物に自己投影するのに、同時に弱い人物を観て憎しみを抱くという事になってしまうのですから。
 つまり、多くの強さを追求したバトル作品を観て完全に快感を味わう事など出来ないという事であり、この試みそのものが間違っているという事になるでしょう。
 強くなる為の作品がそういうものだと割り切る必要があり、そういうのを好む人はその事をわきまえる必要というのものがありますが……。
 はっきり言いましょう。『そういうのを求める人ほどそのようなわきまえを持つという事はしないものである』と。
 つまり、そういうエゴイズムを持つ人に対して強さの描写に重点を置いた作品が完全に応えるという事は決して無い、そういう事ですね。