力が欲しい

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】一人称で書いてみた感想

 この度私は、初めて一人称の小説を書いてみました。そこで感じた事をここに記述してみます。
 その一人称小説は成人向けの内容になりますので、『18歳以上で』興味のある方はご覧下さい。
 それでは一人称で書いてみての感想をここに記していきます。

[1:地の文が多く出てくる]
 これが一番最初に強く感じる印象ですね。
 それは、一人称の構成が、情景を主人公の視点で記す+主人公の考えという二段構えの構造だからでしょう。
 三人称でも、起こっている事に加えて、それを読みやすくする為の知識等を挿入する二段構えの構造になりますが、一人称のそれは規模が違います。
 三人称で挿入する知識等はあくまでサポートの意味合いであり、メインを務めるものではありませんが、一人称の場合は主人公を通した情景と同じ位に主人公の考えというものの量がウェイトを占める訳です。

 故に、三人称では考えられない程より劇中の短期間の中に地の文が多く入ったのですね。
 今回私が書いたノベライズ小説は、原作が手元にないが故に序盤しか書けませんでしたが、その序盤で約5200字にも達してしまいました。これが三人称であったら1000字にも達していたかどうか怪しい位ですね。

 この事がネットで『書き手側』が一人称を好む理由だと私は実感しました(読み手側が好むのは、より劇中の主人公が得る利益を体感してより満足する為でしょう)。
 つまり、書き手はより容易に地の文を稼げるから、それを好む訳でしょう。
 これが、主にネットの書き手が一人称よりも三人称で書く方が難しいと感じる所以だと思います。

 しかし、裏を返すと同じ文字数でも一人称は三人称と比べて話の展開が遅くなる、『出来事』という観点から見た際に内容が薄くなるという事の証明になるのではないでしょうか。
 なので、目まぐるしい展開を要求されるファンタジーやバトルには向かない手法だと私は感じました。敢えて一人称でそれらをやる場合は本来向いていない事を念頭に置いて手掛ける必要がありますね。

 ですが、考え事をよくする私にとって、その思考を出力していく様は、三人称描写にはない面白さがありましたね。主人公の行動よりも思考に重点を置く作品を書きたい場合は一考かも知れませんね。

[2:描写がリアルではなくなる]
 これはネットで他の方が言っていた事と被るのですが、一人称で状況を綴っていく様は、現実の人間と照らし合わせてみれば非現実的である事は一目瞭然でしょう。

 例えば格闘技で、選手が戦いながら、
─────────
 私の攻撃が相手に見事当たった。よし、効いているようだ。相手が苦悶の表情を浮かべている事からもそれを伺い知る事が出来る。
─────────
 等と、いちいち心の中で状況説明など出来ている筈など有り得ないのですから。ましてや格闘技は日々の鍛練の成果を体が起こしていくのですから、戦う人が逐一その状況を文字になど出来ないでしょう。

 故に、その理由からもバトル展開を描写するのにはかなり向いていない訳に思えます。
 それでも、ネット小説では一人称でバトル描写をする作品が多いので、読む側としては余程一人称でのバトルのやり辛さをものともしない作品を探すか、ネットでは人気作品が一人称作品に集中するので人気をあてにせず面倒でも三人称作品を探していくかする必要があるでしょう。

[3:主人公が絵で描かれた場合と別人に見える]
 この事も一人称で書いている時痛感しました。
 今回私がノベライズした作品の主人公ヒロインは、原作ではあどけない印象の女の子でした(しようとした行為は別として)。
 ですが、私が独自に地の分を挿入していった結果、我の強く、かつ自意識が高い全くの別人のイメージになりました。

 それは、話言葉と地の文というものが全く異質な概念であるからでしょう。地の文を形成しなければならない為、人間の思考とは思えない程無機質になる傾向にある訳ですから。

 かと言って、その地の文を話し言葉みたいに砕けたものにしてしまっては、文章として読み辛い事この上なくなります。
 例を挙げれば、ジョージ・ジョースタ等でしょう。あの作品は話し言葉のように奔放な地の文なのが、読み進めるのが苦痛になる一因になっていました(読み辛い要因は他にも沢山あった訳ですが)。

 逆に、別人になる効果が+に出ていたのは、かつてネットに掲載されていた、神無月の巫女の二次創作小説ですね。
 この作品では、原作では概ね姫子にしか価値を見出だしていない千歌音が、彼女を主人公にして地の文を設けた事により色々な周りの事を見て考える律儀な人物像になり、姫子の事を頼りないと思いつつも何故か惹かれる様がねっちりと描写された誠実な人になっていたのですよね。
 加えて、私が『二次創作・派生作品の種類』であげたカテゴリーの中で『再構築』になる事もあって、はっきり言って原作よりも面白い作品であったのに、どうしてなくなってしまったのでしょうね。

 話が逸れましたが、一人称での描写は絵の作品とはかけ離れるという事です。なので一度、例えばコミカライズされた『ワールドカスタマークリエイター』や、加えてアニメ化もされた『異世界から始まるデスマーチ』等を、原作小説と合わせて照らし合わせながら触れてみるのもいいかも知れませんね。

[4:外出先での執筆に余り向かない]
 これは一人称小説の内容には直接関係ない事ですが……いえ、小説の内容に干渉し得る事柄ですので、もしかしたら関係あるかも知れません。
 それは、人が話していたり、人が多い環境での執筆は敬遠した方がいいという事ですね。三人称でも避けるべき事ですが、一人称だとそれが顕著になります。可能な限り静かで、かつ人に話し掛けられないような環境を作りましょう。
 その理由となるのが、一人称描写は思考の羅列になるからですね。
 例をあげると、三人称なら『テーブルの上にあるリンゴを○○は見ている』で片付く所を、一人称だと『テーブルの上にあるリンゴを私は見ている。綺麗な赤色だ。美味しそう。食べたい。でも本当は今はみかんの方が食べたい』等、より多くの情報が生み出される事となります。
 しかも、それらは全て主人公の思った事なのです。
 三人称なら、話の状況が決まっていれば、途中で人に話し掛けられても執筆復帰は多少容易でしょう。言ってしまえば考えていた最初の台詞を忘れても、話に矛盾が生じないように新たに台詞を考えても成り立つのですから。
 そして、リンゴの例に戻れば三人称ではテーブルにリンゴがあるのを○○が見ている状況だけ認識出来ればいい訳です。
 しかし、思考の羅列となる一人称はその思考一つ一つが重要となってきます。故にどれか一つでも支障が生じると致命的になるのに、その記憶が邪魔が入ると三人称よりも壊れやすいのです。
 言うなれば、幾ら記憶力が良い人でも見聞きした情報はしっかり覚えていても、『自分が考えた事』を逐一思い起こすのは容易ではないでしょうという事です。
 なので、三人称で書くよりもデリケートな試みになります。それ故、私のように外出先で執筆する機会の多い人は、大げさかも知れませんがそれだけで一人称での執筆を敬遠する理由になりうるのではないでしょうか。私が外出先で辛うじて書けたのは読み切り作品であったに過ぎませんから。

 以上が一人称で書いてみて私が思った事ですね。
 そして、私は最初に書いた小説が三人称だったが故に三人称絶対主義者になっていましたが、一人称で書いてみて、三人称にはない可能性というものを感じました。
 なので、一人称描写は『使用する作品を選べば』、物凄い力を生み出してくれる事でしょうという結論に至りました。作風をちゃんと考えれば大成功しうるので、自信のある方は挑戦してみるといいかも知れません。