やはり、監督はこのアニメの制作を、カードゲームアニメとしての面ではあまり重視してはいなかったのではないかと思います。
と言うのも、二回程新カードではなく、モンスターカードのその時の攻撃形式をサブタイトルにした事があるのが一因です。
(ホープ剣ダブルマーズスラッシュとホープアトランタルですね)
視聴者としては、遊戯王の楽しみの一つが現実で使えるカードゲームを見れるという所に目を当てているのです。
つまり、サブタイトルになるような話題だと、お待ちかねの新カード登場なるか? という期待を寄せる訳です。
なので、そこで現実のデュエルではソリッドヴィジョンなどないので再現出来ないようなモンスターカードの攻撃名をサブタイトルにされれば拍子抜けした事でしょう。
それに加えて、実際のデュエルのルールでは適応されないような変則的な内容のデュエルがアニメゼアルでは多く行われました。
この事から、『本当は』監督はカードゲームとして遊戯王を愛してはいないだろうというのが私の読みという訳です。
監督が前作の総帥に憧れていただろう事が原因でしょうね。要は崇拝するアイドルがやっていたのがカードゲームだったので、それを愛している『フリ』がしたいのでしょう。
(この事は監督は認めないでしょうが。ツイッターで『デュエルって面白い』って書かれていましたから)
つまり、『相葉マナブ』に例えると、相葉氏の熱烈なファンが彼が行う包丁王子の企画を見て、『板前に興味を持った』気持ちになろうとするような心理と同じでしょう。
そして、ぶっちゃけた話が監督はデュエルが『嫌い』なレベルだったのではないかと言う事ですね。
それは、総帥がデュエルに関わっていた事が復讐者に仇討たれる要因になったからでしょう。
考えてもみて下さい。例えばスキー選手を彼氏に持っていた彼女が彼を競技中の雪崩事故か遭難等で亡くしたとして、彼女はスキーを愛するでしょうか? という話です。
青年向け漫画やドラマだと、そのトラウマを克服してスキーを好きになっていくという世知辛い内容のストーリーが展開される事があるかも知れませんが、現実でそんな律儀な行いをするような人は少ないと思われますから。