アニメ版遊戯王ゼアルの……簡単には形容出来ない人物ですね。劇中で一番勘に障る行動を起こしたり、それでいて美形であるが故にVジャンプの人気投票では一位だったりと難儀な要素の多い人物です。
そんな彼が起こした、彼の代名詞と言うべき行為こそが『ファンサービス』に当たる訳です。
この『ファンサービス』は一般的な、自分や自分の作品のファンに対して気を利かせた展開や演出を手掛けるというものではなく、『相手に希望を抱かせ、その上でそれを踏みにじる』という猟奇的な趣味嗜好となっています。
このような事を行った彼は、単に傷害快楽主義者として作られたのかと言うと、それは違うのではないかと私は思う所存なのです。
それを紐解くには、このアニメの監督がネット型の人間故に、そういう人に多い傾向である前作の総帥への崇拝を深く行った人の一人ではないかという仮説が必要になります。
そういう人間は、決して大多数ではない筈なのですが、その崇拝度の高さは尋常ではない上に某巨大掲示板の住人と同様に、ネット上ではどこにでもいる程の存在のようです。
そこで、この監督も総帥に対して『自己投影』していた事なのでしょう。つまり、総帥の活躍は自分の晴れ舞台と同義に思っていただろうという事です。
その総帥の悪行のレベルは類を見ないものがありましたが、最後には敵の女性の弟を殺害した事を明かした上に、彼が無能だったからいけないだの、私の役に立たない人間など必要ないのだよ等と暴言を吐いたが故に彼女に葬られる事となります。
その総帥が葬られた事が、ネット型の人間であるゼアルの監督にとっても、『華々しい自分の活躍を描いてもらっていると思っていた所で、それをへし折られた』という(身勝手な)発想を生む事となったのでしょう。
そういう自分本位な発想が、IVの異常性癖を生むに至ったと私は考えます。
そう、総帥=自分が夢半ばで挫折させられた恨みを彼に晴らさせるというのが監督の狙いだったのでしょう。
つまり、やり返しているという事ですね。自分が受けた希望を踏みにじられるという苦痛を『他の人にも味あわせてやろう』という発想になったという事です。
(はっちゃけた話、この作品で否定されている筈の『復讐』そのものな訳ですね)
大元の原因であるミスティ・ローラにではなく、劇中の不特定多数の無関係な人間へと恨みの矛先を向けるに至ったのは、彼女へ恨みを見せれば逆恨みになる事は分かっているからでしょう。
ちなみに、桑原監督の恨みの矛先は小野勝巳監督よりもミスティであると考えるのが妥当だと思われます。こういう架空の人物に自己投影するタイプの人は、現実の人間よりも創作上の人間に重点を置いているように思われますから。
後にIVは父親の命令で結果的に璃緒に怪我を負わせた事は謝罪していますが、『ファンサービス』においては自分の恨みをぶつけた真っ当な怒りの現れなので、謝罪する義理はないという発想の元か、謝罪されていないが故に、この仮説の信憑性に繋がるのではないでしょうか。