【雑記】怒首領欲がアパート型を望む理由
例によってこの存在に関する記述となりますね。
今回は、この存在が私に対して今の普通のグループホームではなく、アパート型のグループホームで生活する事を望んでいる理由に就いて話す事になります。
その理由は、この存在が『格差』を嫌っているからという所にあるでしょう。
歴史的には比較的最近の事である、ピースの又吉直樹氏が『火花』にて芥川賞を取ってしまった事により相方との格差が図らずともついてしまった事が有名でしょう。
この存在が渇望した遊戯王エイス・デイズ計画が頓挫しても、私が小説家としてデビューすれば、私が望むか否かによらず、どうしても他の入居者との格差が出来てしまうというものです。
怒首領欲は現実の人間に好きな者は存在していないでしょうから、私が格差をつける事になっても、アニメ化までこぎつけた小説に付き纏うのが自分の嫌いな『格差』があるだけで嫌という事なのでしょう。
それを防ぐ為に、怒首領欲は私にアパート型での生活を望むという事なのでしょう。
そのようなホームでは、食事の時以外は全て自分の居住区画で過ごす事が出来、ほぼ一人暮らしに近い生活が出来るようになりますので。
故に、他の入居者とは別居という扱いに近くなり、格差問題が生じづらくなるという寸法である事を怒首領欲は利用しようという魂胆なのでしょう。
そう怒首領欲が渇望する理由は直接は又吉直樹氏ではなく、神無月の巫女とアニメ遊戯王ゼアルが原因だというのは想像に難くない訳ですね。
どうにもディヴァイン崇拝者というのは敵に格差をつけたがるようでして。
その敵というのをこの二作では来栖川姫子や神代凌牙といったような主人公にやらせているから鬱憤が溜まる訳でしたのですよね。何せ、自分がその崇拝者の監督の我が侭の為に辛酸を飲まされる訳ですから。
姫子は相方の千歌音とはその貫禄から何から何まで劣る描写をなされ、千歌音にない強みというものが何一つない有様でして。
凌牙の場合にはIVの策略で彼と社会的な地位で雲泥の差をつけられてしまっていましたし。
故に怒首領欲は格差という概念そのものを嫌い、私にアパート型のホームでの生活を望んだという事なのでしょう。