雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】あの存在の結論

【雑記】あの存在の結論
[2023/06/02記述]
 昨日の記事でゴヨウが成功した一因は読書家であるという事を書いたのに対してあの存在が出した結論はこれだったようですね。
『知恵や協力で動く者よりも、運命や人間を操れる自分の方が優れている』と。
 なので、優れているので自分には活字の読書は必要ないという意味合いでしょう。
 そして、その誇示として今日の職員さんをこの雨に加えていつもの女子大生の人ではなく管理者であるという事を差し向けて私にストレスを与えられるんだぞと示したという事でしょう。ご丁寧に自宅の庭の手入れの請求書が来ていないというちょっと面倒そうな話題も引っ下げさせましたので。加えて雨の明日もいつもの職員さんではなく社長ですからね。
 なので、読書好きでそれによって発想力を身に着けた私や吾峠呼世晴先生よりも操る力のある自分の方が偉大だという結論であるという事でしょう。
 では、その理論に関する落ち度を書いておきます。

 まず、このアニメ版アストラルですね。
 恐らく彼は監督が遊馬のビジュアルが気に喰わないからという事で、人間的な美しさではないものの美しい事に変わりのないアストラルを自身の中で主人公と認識したのでしょう。
 その事を隠しているのをいい事に、自分がデュエルするのが面倒だから遊馬にデュエルしてもらって悠々自適に過ごすという快適さを構築したようですね。序盤こそ大器晩成型の遊馬に助言をする事で彼に勝たせるという大役がありましたが、彼自身のデュエルセンスが出てきたら後は見物人に成り下がっていましたし。
 なので、遊馬が勝っても遊馬だけの勝利に過ぎないという状況が出ていましたね。こうなると彼が満足に活躍したとは言えないでしょう。

 それに対して、漫画版の榊遊矢はというとですね。
 彼はどういう原理か過去へのタイムワープに一人しか乗れなかった自分自身以外の他の三人の遊斗、遊吾、遊里と四位一体となって状況に応じて入れ替わってデュエルするというのが漫画版の醍醐味だった訳ですね。
 無論、その際には四兄弟の協力関係で成り立っており、決して誰が誰を支配するという事が無かったのです。
 それによって、現世に留まるのに限界が来た三人が天に召されても遊矢は一人で歩んで行けるだけの気概を手に入れられたという事ですね。
 このように比較は私はしたくないのですけど、どちらが真っ当なのかは明白というものでしょう。