それぞれ、神無月の巫女とアニメ遊戯王ゼアルの登場人物となるこの二人ですね。
[イズミ]
[IV]
共通するのは、全ての悪を許させる事によってそれぞれの監督が自己投影する遊戯王5D'sの登場人物であり劇中一の常軌を逸した外道であるディヴァインを自発的に許す心を視聴者に育ませるべく送り出した存在である事です。
(それも神無月の巫女に至ってはその時点では5D'sは発足されておらず、未来の産物の為に作ったという極めて眉唾もののややこしい仕様となっております)
しかし、その彼等が構築されるまでの造りが異なっている為に、ここでそれを解析して行こうと思います。
まず、イズミからですね。
彼女の場合は、ディヴァインのようなカリスマ的存在は千歌音となっていますので、それを崇める立場にあります。
つまり、自分自身がトップに立つ意識で造られていないという事になります。
これは、監督自身がディヴァインというカリスマを崇める追っかけのような自身の正当性を確立する為に造られたという事なのでしょう。
故に、名前も碌に呼ばれないような脇役として登場するのがその理由となっている訳でしょう。自分自身だから着飾る必要がないという事でしょう。
一方でIVはディヴァインを見習った存在だという事でしょう。卑劣な行いをするが外面的に美しくあり、世の中に認められるべき存在として桑原監督は描いたと思われます。
これがこそこそやっているからややこしいのですよね。表面上はMr.ハートランドをディヴァインのオマージュのように見せ掛けて『自分はディヴァインはネタ的に少し興味がある程度ですよ』と思わせる為にダミーを用意するという手の込みようです。
これらのイズミとIVの要素を整理するとこうなるでしょう。
イズミは『自分自身をモデルとしたものを打ち出す』。
IVは『自分の崇敬する他作品のヒーローを模倣する』と。
これらは、ちゃんと『自分の作品を面白くする為に貢献させた存在』で例えると一例がこうなると思いますね。
前者は、『しまぶー(世紀末リーダー伝たけし)』『ハーマイオニー・グレンジャー(ハリー・ポッター)』。
後者は、『仮面ノリダー(仮面ノリダー)』『サイタマ(ワンパンマン)』。
前者から解説していきましょう。まず、しまぶーは私も好きでしたね。たけしの本編から逸脱した番外編のような時に島袋光年氏が自らをモデルとしたしまぶーが登場するのですが。
これが生き生きと動いて、本編キャラに引けを取らないレベルで動くのが魅力的でした。
例えるならば、メインディッシュに太刀打ちするようなデザート感覚だったでしょう。故に、二回目の人気投票で一位になるのも頷けるというものです。
次にハーマイオニーですね。彼女は公表されている情報によると作者のJ・K・ローリング氏の少女時代がモデルになっていたとの事ですね(私は世界一受けたい授業で知りました)。
そのように自分自身をモデルにしながら魅力的な人物として仕上がっていったので成功と言えるでしょう。
では、後者に入りましょう。
仮面ノリダーは懐かしいですね。子供の頃はとんねるずのみなさんのおかげですは寝る時間なので親に録画してもらって、ノリダー部分だけを楽しみに観ていたという記憶があります。
当時は私はノリダーの方が元ネタのライダーよりも馴染みの深いヒーローとなっていたものですね。
それは、単にライダーのパロディーに終わっておらず、チビノリダーとかヒゲゴジラ戦では巨大化して戦う等の独自の展開が目白押しだったからでしょう。
次にサイタマも注目すべき所でしょう。
元ネタのアンパンマンは顔が汚れた後に交換してもらえば、後はほぼ確実にばいきんまんをパンチ一発でUFOごと吹っ飛ばしてエンドという安心感があり。
そこから顔が汚れる過程すらをしゃっぴいて常にパンチ一発で敵を倒せるハイスペックっぷりを有しているというトンデモ設定故にインパクトと手放せない魅力があり、アンパンマンの戦闘面での魅力を更に昇華した一品となっていますので。
ここまでが、イズミとIVの方向性の違いを他作品で例えて整理してみたという感じです。
この情報が、私が遊戯王エイス・デイズを手掛けていくに於いて必要という事なのでしょう。
どうにも、私が怒首領欲と呼んでいる存在は、私の作品の神機楼戦記オクトメディウムにてイズミを反面教師にして描いた八雲泉奈では満足していないという事があるからです。
そして、遊戯王エイス・デイズでは主人公のコチ・マルティノッジにイズミもIVも纏めて社会的にぶっ飛ばす要素を取り込みさせるのが狙いと思われますので、それに従うまでです。そうしなければ私は小説家になれない訳ですからね。
怒首領欲は1970年代にエースとなったアニメ演出家が未来で人ならざる神のような存在となったと思われますからね。
マジンガーZのような頭一つ抜けた存在がヒーローであるべきと考えるのでしょう。つまり、ガンダムというリアルロボットから始まった役割分担という概念を好んでおらず、強力なヒーローを一つ主人公に設けたいという事なのでしょう。
そのようにして、コチを用いてイズミとIVを纏めてぶっ飛ばす為に必要なものが、今回の彼等の相違点を整理して見えたという事ですね。
彼等は善悪を抜けば破壊力がある存在でしたからね、そんな彼等に倫理観抜きで打ち勝つとなるとですね。
要は、彼等の要素を融合させた存在にコチをさせる必要があるという事ですね。何せ、彼等を纏めてぶっ飛ばす必要があるのですから。
つまり、コチ・マルティノッジは『私自身の要素を取り込み』かつ『他作品のヒーローを模倣する』という両方の属性を網羅させるという必要があるという事でしょう。
まず、前者からその方向性を整理していく必要があるでしょう。
私は『鬼滅の刃:無限列車編』を映画館に観に行った次の日に遊戯王セブンスで『重機愛でる姫君』を用意されて主人公が敗退する展開を連続して観させられて鬱状態になった経緯があり。
その鬱状態から抜け出そうとしてベランダで歯磨きを始めた所、朝の下痢がほとんどなくなるどころか、そこから腹式呼吸となって着痩せが解消していったのですね。
それが原因で私の趣味が読書だったのに加えて音楽鑑賞とウォーキングという健康的なものが新たに加えられていく事となり、それをコチにも反映させても良いという事ですね。
それから後者に関しては、他作品と言っても私自身が漫画応募で使ったヒロインである『柊コノハ』になるだろうという事ですね。
彼女は一番思い入れがあったのですよね。緑髪のポニーテールで清楚な服装をしていて爽やかで、かつ天真爛漫で性格も可愛いという私の理想をぶち込んだ存在だったのです。
しかし、ジャンプの漫画評価の所で『女性キャラが主人公なのはそれだけでキャラが確立するようでいて、実際は男性キャラよりも難しい』というコメントが原因でコノハを主人公にするのを避けていた訳ですね。
でも、今では東方projectのように女性を主人公にする作品が普通に増えてきたので、そのジャンプでの発言の時よりも女性キャラ主人公がやりやすくなっているので、かつ自分もどうにも主人公に美少女キャラばかり設けている傾向が強いのでそれを利用しない手はないだろうと思い、コチを作る際には自分の中のヒロインであるコノハを模倣する次第という訳ですね。
こんな感じで、『遊戯王エイス・デイズ』の主人公たるコチ・マルティノッジの方向性は決まった訳ですね。
自分の能力や性質がモデルの主人公というのは自己投影が過ぎるという考えに陥る人も多いでしょうが、ブラックジャックなんかは手塚治虫先生の自身の医者のスキルがあったからこそ描けたという自分の能力を活かした主人公であったからこそ成功したのも忘れてはいけないでしょう。
天野こずえ先生も、彼女は実際に水先案内人か何かの経験があったと思われますね。だからこそARIAやあまんちゅで海がテーマの作品をあそこまで臨場感溢れる描写が出来るのだと思います。
しかし、この計画は怒首領欲のこだわりが強い所ですね。
実際、イズミを反面教師にした存在にはウェンディ・ギャレットがおり、IVに関しては漫画版榊遊矢がいます。
これで気が済んでいないのは纏めて二人をぶっ飛ばす存在が欲しい所とか、後は遊矢が漫画のキャラクターである事が原因ですね。
怒首領欲はアニメ演出家が未来で神のような存在になっただろうと思われる訳ですから、アニメでなければ認めないだろうからですね。
一応はアニメ以外にも現に例えば遊戯王OCGにも興味があるようですが、それらは『アニメで動かして映える』事が大前提だからでしょう。
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※ちなみに、この記事はほぼ今朝がた作業所に来る前に自宅で書き上げました。
一日に書ける文字数を引き合いにするのは、そこまで書かないといけないのかと他の……怒首領欲の価値観に見ればアニメ化の可能性もある作家の足を引っ張るが故に好ましくはないのですが。
それでも速筆というのは創作活動において確実に手助けとなる事実は否めないので、身に着けられるならば身に着けておいて損はないですね。