雷獣ケーキ

東方を中心に二次創作小説やゲームデータを置いたり、思った事を気ままに書いていきます。

【雑記】サイコパス思想とグラビデ理論

※この記事は人間不信に繋がる内容が多分に含まれていますので、閲覧の際はご注意下さい。

[グラビデ]

f:id:deusxmachina:20190325141558p:plain

 それはFF5が初出の魔法です。エフェクトはシリーズ毎に違いますが概ね重力球で敵を押しつぶすものというのが多いです。
 そして、効果は初の『対称の現在HPを算出して、その上で半分の数値分のダメージを与える』というものでした。
 割合ダメージという点ではFF2のブラッドソードや、それと全く同じ性質を持った特定の敵の打撃が、『対称の最大HPの1/16×ヒット数』分のHPを奪うという効果がありましたが、敵の現在HPをアクティブに算出してダメージ計算をするというのはグラビデ系が初めてだった訳ですね。
 とまあ、グラビデ自体の話はここまでにしておきましょう。
 本題となるのは、サイコパス型の人間は人の精神や肉体のダメージをグラビデのように『割合ダメージ』のような考え方で捉えているだろうという事です。人それぞれのダメージをその人の何割に値するかを右脳で即座に(その各々のサイコパス流に)把握しているだろうという訳です。
 それだけならばいいのですが、ここで問題となってくるのが『サイコパスは人によって優劣を付けて見ているだろう』という点になってきます。

 ここでポケモンを例に挙げて説明していきましょう。努力値を計算に入れるとややこしくなるので、大まかな計算である事をご容赦下さい。

 まず、サイコパスの人は概ね自分を無条件で最高の存在だと思っている訳です。つまり、自分はLv100でHPは400位という認識という事になります。
 対して、その人が取るに足らないと思っている人は極端な話さしずめLv5でHPは20程しかないだろうと直感的に思っている事でしょう。
 つまり、同じHPの1/4の割合の精神的ダメージでも自分の場合は100ダメージとなり、取るに足らないと判断した人は僅かに5ダメージしか受けていないというような認識を瞬時にすると考えられます。
 故に、同じ精神的ダメージを負ったとしても自分の場合は100ダメージも負ったが、取るに足らない人は5ダメージしか負ってない。ここから自分の場合は多大な損益を被ったと考えますが、取るに足らない人は自分の物差しではかすり傷程度の痛みしか受けてないのだからとやかく言うなという発想が生み出されるのでしょう。
 しかも、この優劣は各々のサイコパスの主観で決められ、客観性はないというのが厄介な所となるのです。

 これを創作物の観点で見ていきましょう。
神無月の巫女
 イズミ達は姫子が学園のアイドルたる千歌音の側に紆余曲折あって置いてもらった事に嫉妬と憎悪の念を抱きます。
 これは、Lv5しかなくHP20の姫子が、Lv100でHP400もある千歌音の下にとは恐れ多いにも程があるという『イズミ達』の判断でしょう。しかも、自分達にもLv50→HP200はあるという位の認識はしているでしょうから、冒険中盤位の勇者レベルの自分達がスライム程度の存在に出し抜かれて怒り浸透といった『イズミ達』の判断でしょう(大切な事なので二度言いました)。
 その後第9話で千歌音不在の時を狙って姫子を集団いじめしましたが、それも監督的には、HP20の存在を半分ダメージ与えた→僅か10ダメージ与えたに過ぎない、しかもマコトに助けられてその10ダメージは回復したのだからイズミ達は『何も悪い事はしていない』という認識なのでしょう。
 寧ろ、破壊活動を行い甚大な被害を出したオロチ衆はどうだったのか? というのが監督の弁となりそうですね。被害だけでは彼等の方が多く出したのですから。対してイズミ達は『全く』被害を出していないのです。
 更に言えば、千歌音の本心に気付かずにソウマに付こうとしていた姫子の方こそ千歌音に精神的に最大の1/2、つまり200ものダメージを千歌音に与えた重罪な存在というのが監督の認識でしょう。
遊戯王5D's]
※初めに断っておきますが、この作品の監督の小野勝巳氏はサイコパスではないと思われます。
────────
 この作品においてサイコパスの話題となるのが、総帥と現実における彼の支持者ですね。
 まず、総帥は龍亞をサイコデュエルでいたぶった挙げ句に『何の取り得もないカス』と中傷した訳ですが、これは彼の支持者の見方からすれば、HP400ある人から、僅か19ダメージ負わされたに過ぎないという感覚でしょう。つまり、19ダメージというちっぽけな損害にムキになっている私はサイコパスのファンから見れば器が小さく異常者という事でしょうね。
 そして、トビーの事を殺したが、彼自身世間から認められなかった被害者で、かつアキの事は大切にはしていたとから未来組と違って救済されないのがおかしいというのが支持者達の弁です。
 これは、自分は過去に200ダメージを負った経験があり、しかもLv80→HP320のアキのHPを320完全回復させる建設的な行為も行ったのに、たかだか20ダメージの報復の為に自分が400ものダメージを負った事に憤りを感じているのが支持者という事でしょう。
 この事に納得出来なかった一人がアニメゼアルの監督という事で、彼は復讐に疑問を持つのではなく総帥を不当に葬った復讐という概念自体を『憎んだ』上でアニメ制作に掛かったと思われますね。
(そういう彼の数値での判断基準が、デュエルでやたら万単位で攻撃力が上がったり、終盤には元々の攻撃力が一万やら十万といった遊戯王のゲームバランスの範疇から逸脱した表現に繋がってもいると考えられますね)
────────
 この記事のここまでの内容は、あくまでポケモンの数値を例えにした例です。
 しかし、サイコパスの人間は恐らくこれらに近い判断基準を本能的に携えており、人に優劣を付けた上での損得勘定を第一に考える、常人とは決して分かり合えない強固な思想の持ち主であると考えた方がいいでしょう。
────────
【そして……】
 ここまでポケモンを例にしましたが、当のポケモンの生みの親の田尻智氏は寧ろサイコパスのこういった考え方を大いに嫌ってポケモン制作に乗り出したのでしょう。彼の特性から考えると、特にサイコパスとは相性の悪い事が窺えますから。
 それは、ポケモンバトルの仕様が、RPGの醍醐味とも言えるダメージ表記が一切されないという点から考えられますね。故に、ダメージ数に関係なく、目に見えるのはゲージをどれだけ削ったかとなっていますからね。
『生き物の命は数値ではない』。その熱い思いから田尻氏はポケモンを世界的大成功の礎を生むに至ったのでしょう。
(水を指すような事を言うと、コロコロコミックの大々的なセールスがあったという訳でもありますが)
【最後に】
 サイコパスはそういう、人を数値で見るような思考をしますが、加えて外面上はそれとは全く逆の『人を数値ではなく個人として見て、その人の全てを愛している』という『フリ』をするのがとても得意である事も注意しなくてはいけない事です(虐待が発覚しづらい一因にこれがあります)。
 なので、一般人はそれを見極めて、本当にその人が他の人を数値ではなく個人として見ているか把握出来る眼力を養う必要があるという事ですね。