【雑記】ラジオはどうあるべきか
ぶ○うのいえから脱却して辿り着いたキアヌ改めオハナへと来てから、ラジオが壊れてしまってから久しいですね。
どうにも安い物を買ったのがいけなかったのだと思いますね。
そこから私は今までラジオを聴いていないのですが、ラジオは私にとってどうあるべきかという論点になって来る次第という事です。
まず、これは場所を取らずに扱えるというのが理想的なのですよね。立派なラジオだと場所を取ってしまってかさばってしまうので。
なので、以前に私はスマホにラジオを聴く機能が付いていて凄まじく便利だと思った次第なのありますね。
しかし、電波の扱いか何かでしょうか、肝心のガラホにはそのような機能が付いていなくて歯噛みしているのが現在なのです。
この事に関しては、ガラホ用にアプリのデータを拵えるサイトに不具合が生じてから久しいので、2024年1月までには再びスマホに戻す事も検討しているので、その際に解決するのではとは思いますが。
しかし、その他にも手軽にラジオを聴けるようなシステムというものが欲しいと思うのですよね。
そう、例えば携帯ゲーム機ですね。
PSやPS2には音楽CDを聴く機能が存在していたから、技術的には十分に搭載出来ると思うのですけどね。
問題はどのゲーム会社でもそのゲーム機のブランドの為に安っぽさを出させない為に『敢えて』搭載しないだろうという事が目に見えてくるようで歯噛みする気持ちとなりますね。
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【雑記】陽の光の使い方
生きる者の一員である人間も、当然ながら太陽の光を浴びなければ生きてはいけないのです。
しかし、一概に陽の光を何の考えもなしに浴びるのではいけないというのが、今までの私の実体験から導き出された答えですね。
そして、これが私が試行錯誤をして編み出した、日光の浴び方というものです。
まず、南を右側にする事ですね。そうすれば自然に西が背になりますので。
南から朝日が浴びれるので、右脳に刺激が入るかのような感じで、本能的に体が求める形を実践出来るようです。
そして、背の西の場合は注意が必要です。
これは、朝日と違って西日は余り積極的には浴びない方がいいという経験上の理論です。その為に西を背にした訳という事ですね。
加えて、余りにも直で西日が入って来て部屋が暑くなるようならば、カーテンやサッシをして遮断する事も考える必要があるでしょう。
それで、午後の日光量はそれで十分になるという事なのですよね。朝日のように直で積極的に浴びる必要は無いという事です。
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と、このようにここまで陽の光の浴び方を書きましたが。
どうにも、これは日光の活用に関して燃費の悪い私のような人だけが心掛ければいい事なのかも知れないというものです。
私の父なんかは、少し外を歩く『だけ』で一日に必要な量の日光を得る事が出来たようでして。
要は、個人差があるという事なのですよね。日光一つでこのようになってしまうから、世の中というのはどうしても不公平になってしまう一因となっているのでしょう。
[2021/11/13 13:20]執筆
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【雑記】ジャンプのダークな大人気漫画の共通点
それは、率直に言うと『引き伸ばしがなされていない』という事ですね。
デスノートだったり、鬼滅の刃だったりという事で。
後者の場合は作者の実家が九州で、余り東京に長くいられないからという理由もあったのですが、私の考えとしては他の理由もあるのではないかと思う所ですね。
それは、作風がダークであるから、下手に引き伸ばすと作品の質に悪影響を及ぼすというのも、色々な問題のある週刊少年ジャンプの編集部としても理解しているのではないかという事ですね。
それは、お化け屋敷が幾ら完成度が高くても、怖い代物なのでその中身を増やすというのは得策ではないでしょう。人間は恐怖に対しては無限の体勢を持ってはいないのですから。
その辺り、人間はストレスが継続すると心身に悪影響を及ぼしてしまうという真っ当な生物としてのメカニズムがあるというものです。
その為に、ドラゴンボールのような他の人気漫画のように引き伸ばしをする事なく作者の意図通りの結末を迎えさせてあげたのではと思われる所ですね。
この二作の他には、藤崎竜封神演義があります。
そして、この方向性で考えると、この漫画もダーク系統扱いとなったという事でしょうか。
そうなった理由の一つが宿敵の関係でしょうか。
彼女は常軌を逸した外道っぷりを見せ、かつ最後まで裁かれないという優遇っぷりを見せましたので。
そして、彼女の思い通りに物語が進む傾向も強く見られました。
つまり、彼女は主人公でもあったと判断するのが賢明かも知れないという事ですね。
なので、この漫画もデスノートに先駆けてダークヒーローはたまたアンチヒーローものという認識を編集部から下されていたのではないかという所です。
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『聖女学園』
これはロックという方がネットで公開をしている官能小説ですね。
今でこそ小説家になろうやハーメルンや暁といった小説投稿サイトがネット上に繁栄しており小説をネットで公開する機会と、それを堪能する機会というものが格段に増えていますが。
一昔前ではそのような便利なサイトはなく、ネットで読み物を見付けたい場合には個人運営のサイトに掲載されている小説のページをダウンロードするという必要があったという事ですね。
そして、この聖女学園もそういう時代から公開されている小説の一つという事なのです。
それでは、この小説の大まかな方向性というものを一部挙げておく事とします。
この聖女学園は、少女を理想的な女性に育て上げるという方針を持った同名の学園が存在するという内容となっています。
しかし、それは実際には男性の性的願望を満たすという意味合いで理想の女性を育てるというとんでもないものであるのです。
『女生徒は下着を着けずに極めて薄手のセーラー服を制服として身に纏い、至る所に性的な責めを与える機材の設置された学園で過ごす』とだけ書いても、この小説が極めて男性のフェティシズムをくすぐる快作であるかが伺う事は出来るのではないでしょうか。
それ故に、この小説の舞台の学園内では、風俗嬢でもやらないようなぶっ飛んだエロティックな学園生活が描写されていくという生唾ものな内容となっています。
……と、このように掴みは非常に良い小説ではあったのですが。
問題は、作者様が完結させる考えが無かったという事に尽きるのですよね。
途中までは由紀や希といったメインの女生徒にスポットを当てたストーリー展開となっていますが、それも途中までという事なのです。
途中からは、生徒会長の身体検査などといった、メインキャラに関係のない人物のショートストーリーばかりが書かれるようになって、本編が進まなくなってしまったのですよね。
その辺りが残念です。
私としては、メインの女生徒達が学園の卑猥極まりない仕打ちに耐えながらも見事に卒業にまで漕ぎ着けて、その後は大手を振って下着を着けられる普通の生活に戻って行くとか、はたまた学園内のそのような生活の中で『何か』に目覚めて新たな道を進む等して無事に最終回を迎えて欲しかったという訳ですね。
なので、例外というものも沢山ありますが、基本的には創作物というのはちゃんと完結を考えて、それに向かって行かなくてはいけないというのが私の思う所という事です。
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【雑記】シンカリオンZから生まれた発想
私は新幹線変型ロボ・シンカリオンZを1クールの間は(年甲斐もなく)夢中になって視聴していたものです。
しかし、それには碓氷アブトが私にとって感情移入しやすいキャラクターだったからというのが大きくウェイトを占めているのですよね。
1クールの彼はシンカリオンの適合率が低くて操縦出来ないという代わりに、頭脳担当をして活躍するという重要なポジションだったというのが私にとってとても愛着が沸く人物となっていた訳です。
そんな彼が、2クール目からはダークシンカリオンなる悪のシンカリオンに搭乗して敵となるという憂き目となってしまったのです。
その敵となったアブトは味方の時のような頭脳担当っぷりがナリを潜めてしまい、武闘派に成り下がってしまったのですよね。
更にはアブトの問題のみならず、彼が来る前はオネエ言葉の憎めない人物だったヴァルトムが彼が来た事により嫉妬心を滲ませたり、主人公の新田シンが『対話』を行うには力が必要だというどこぞの大魔王バーンの思想を正義としてしまうような考えになったり等、他のキャラクターの意識レベルの低下にまで発展してしまっています。
そんなこんなで、私はシンカリオンZへの愛着というものが薄れてしまったという事なのですよね。
そこで私が行き着いた一つの案として、このようなものが生まれるに至りました。
物語というのは、極力地続きにしないでブロック状にして欲しい所だけを味わう事が出来るようにするべきだ、と。
その案に一番近いのが、ジョジョの奇妙な冒険ではないかと私は思います。
この漫画では、物語が部数に分かれており、各部によって全く雰囲気の違う展開がなされていくという当時としては画期的な試みがなされていたのですよね。
なので、例えば結構な頻度で敵として出たスタンド使いがいい奴になる四部が好きだが、敵が殺されまくる五部は好きではないという、物語に選択の余地がある構図は理想的ではないかと思う所です。
と書いてみたものの、これを行える人のセンスは相当な構成力というものが要求されて、並大抵には出来ないのではと思われるのが現実でしょうね。
例えば、はじめの一歩や名探偵コナンはいい加減に完結して欲しいと思う人が多いでしょうが、最早これらの漫画が自身の一部となった森川ジョージ先生や青山剛章先生はそれらを終了させたとして他の漫画を再出発させられるかというと……そういう怖い話に繋がってしまうのですよね。
それならば、各ブロックを別の人が作れば問題ない……という発想は言語道断となりますね。
それが遊戯王です。四作目を担当した桑原智監督が三作目の凄まじい悪のカリスマたるディヴァインに心酔して、かつ彼を正しいと認識したが為に描写が破綻し、その破綻が後続の作品にまで悪影響を与えるという惨事になってしまったので。
こうなると、シンカリオンZと遊戯王の両名の問題を考慮する事によって八方塞がりとなってしまった訳ですよね。
なので、ここではこの話は打ち切ります。もし、妙案が思いついたならばつぶやき風に書くなり、新たなタイトルの記事を書くなりしますので、余り期待せずにお待ち下さい。
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『マインドクラッシュは勘弁な!』
ネット上にある、遊戯王の二次創作小説の中でもストーリーもデュエル構成も高水準の小説の一つだと思いますね。
一番は宍戸丈の奇天烈遊戯王だったのですが、これは残念ながら断筆なされていますので、『完結の可能性がある遊戯王小説』の中では一番の完成度だと思われる所なのですよね。
(奇天烈遊戯王も宍戸丈達四帝がデュエルアカデミアを卒業する所までで完結していたらいい纏まり具合になっていたと思われる所ですが)
話をマインドクラッシュは勘弁な! に戻します。
この小説は作者であるあぱしー氏の弁を聞く限り、最後のOCG取り扱い作品であるVRAINS編まで続ける意気込みのようなのですよね。
本来は5D's編までの予定だったのが、気が変わって後半の三作品も網羅する事に決めたのでしょう。
それでいながら、濃厚な群像劇となっていますので、登場人物が入り乱れる内容となっており、それ故に展開に時間が掛かる事となっていますので、つい近年に初代編が終わった所なのですよね。
それで六作を全て網羅するというのはかなり難儀だと思う所なのですが、私としてはどこまでやるのか見届けたい所だと思います。
そこで、当初に予定に無かった最初の作品である遊戯王ゼアル編はどうなるのかが非常に気になる所なのです。
そう思うのははっちゃけた話が他ならないのですよね。このアニメ版ゼアルの内容が狂いに狂っているからです。
恐らくはこのアニメの監督の桑原智監督は、前作の登場人物であるディヴァインという常軌を逸した極悪人を正しい人だと思っており、彼の考えが正しい事を証明する為にゼアルを作ったと思われるからです。
つまり、否定されるべき悪人を正しいと思って作ったのですから、根本から間違っているという事になります。
そのようなアニメを、どうあぱしー氏は料理するのかが当然問題となる訳でありまして。
そして、マイクラの主人公である神崎空は原作知識を5D's編までしか持っていないというのがまず問題となる所なのです。
このアニメゼアルは作品そのものが倫理観から逸脱しているが為に、今ままで以上に原作改変の必要が出てくるというものです。
それなのに、神崎はこの作品の世界に置いてどういう展開が起こるというのかを全く知らないという事なのですよね。
そこで、私からアドバイスというか予想というかどちらともつかないような意見を出させてもらいますね。
私は神無月の巫女をリメイク小説として、『神機楼戦記オクトメディウム』というタイトルで暁にて投稿させてもらい、そして完結に至っています。
その小説は、まず原作の登場人物であるイズミが気に食わなくて、彼女を改変して真っ当な性質のある人物へと作り変えるのが最初の目的でした。
しかし、イズミ一人を改変しても、原作の描写そのものも気に食わないという事に気付いた訳です。敵組織という本来主要の要素であるオロチ衆がストーリー上重要な存在でないという方針を聞けば、その気持ちが分かってもらえるでしょうか。
そこで、この小説は原作の人物や用語や設定をある程度拝借した程度の、全く新しい内容の物語となる事となったという訳です。
つまり、ここから私があぱしー氏にメッセージを送るとするなら、こう述べておきたい所なのですよね。
『原作の不満点を解消するのは、原作知識だけではなく、作者自身の手による根本からの改変という手段もある』と。
そして、もしこのメッセージをあぱしー氏が読んでくれたとしたら、ゼアル編は例えばこのようなものになるのではと、予想ともつかないような文をここから書かせていただきます。
まず、時を超えた絆編の最後にて、不動遊星サイドの背景の描写にこのようなものがあったのですね。
それは他でもない、原作で作品に噛み合っていないレベルの非道っぷりを発揮したディヴァインが、思いっきり豹変していた事です。
まず、龍可に『先生』と呼ばれて慕われているという時点で原作では有り得ない展開と言えるでしょう。
ここまでならば、この小説によくある神崎の介入によって原作から逸脱した展開になっただけ(だけと言えるレベルでない事をいつも神崎はやってくれる訳ですが)ですが。
問題となるのが彼の容姿ですね。
どうにもこの小説にて、彼の容姿から根本的に違うものとなっていたのですよね。
原作では茶髪の花輪くんだのジョルジュ・ド・サンドなどを彷彿とさせる跳ね返った髪型だった筈ですが。
この小説では、どうも赤髪で鬼太郎のように片目が隠れているという完全に独自のものとなっていたのです。
この小説では牛尾を早い段階で更正させたりとかしていますが、それはあくまで人格に関する介入です。
それが、ディヴァインに関しては外見まで違っていたという事なのですよね。
これは、今までとは様相が違う描写となっており、これが意味するというのは何かという事になります。
単に外見が変わっただけなのかも知れませんが、ここで私はこう思う訳です。
『常軌を逸して作品に合致していない外道は、全くの別物として作る』
つまり、原作キャラと名前と一部の共通点を持つという点があるものの、率直に言うと別のキャラクターを設けるという事なのではという予想なのです。
このような措置が、ゼアル編には随所に、もしくは『完全に』設けられるのではと私は考える訳ですね。
アニメゼアルにおいては、ディヴァインのような倫理観から完全に逸脱してしまったような人物描写のキャラクターが随所に登場しますので、その原作キャラを根本から全くの別物にしたものが『主流』になるのではと思う所です。
もしかしたら、とここで私は思うのですね。
私の神無月の巫女リメイク小説たる『神機楼戦記オクトメディウム』をあぱしー氏が読んでくれた事で『原作の不満の解消に必要なのは原作知識を持った主人公の投入だけではない』と思ってくれたのではないかと。
要は、原作の不満を改変するには、原作とは根本から別物にして書き手自身が再構成してしまうという手法も使えるという事を知ってくれたという事ではないかと思う所なのですね。
神崎空は、ゼアル編には原作知識無しで突入する事になります。
その原作では不満だらけの世界を原作知識無しで大改編する事は困難でしょうから、ここから展開は大きく変わるのは明白でしょう。
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【雑記】名探偵コナンと西日
まず、私の感性の事からお話しましょう。
私はグループホーム生活をするようになって、自宅での快適極まりない生活の勘を取り戻したくて試行錯誤しました。
その結果、こういうスタイルが必要である事が分かりました。
それは、なるべくならば東を右側にして、西日を背に浴びて過ごすというものです。
どうにも、右利きの私には、利き腕となる方角に体に良い朝日が浴びれるようにしたいという事だったのですね。
もしくは、人間というものは道が二つに分かれたら、主に右側へと向かう傾向があるという生物学的な要因もある事が関係しているのかも知れません。
しかし、これは可能ならというレベルですね。実際には朝日を浴びれるならば、方向性は問わないと思われますので。
でも、午後からの西日はこうはいかない事には気をつけなくてはならないでしょう。
西日の光というのは強烈で正面を向いて浴びると体に余りよろしくないからですね。
なので、逆に西を背にして背後から浴びるのが賢明という事になります。
これによって、私は自宅にいた頃の勘を取り戻せそうなのですよね。西日が背から入る事によってどうもノスタルジーというものが感じられるのです。
これは、私がそう感じるのかも知れませんが、人間自体の感性がそのようになっているとも考えられるでしょう。
そこから私が言いたい事はこうなります。
『人間に備わった感性には逆らってはいけない』と。
ここで、話を変えて名探偵コナンのアニメの事に入らせて頂きます。
このアニメは全盛期が月曜の夜7時30分からの頃だったと私は思っております。特に、犬夜叉と隣り合わせだった頃がこのアニメの黄金時代だったと感じています。
まず、放送時間というのがコナンのコンセプトに丁度良かったのでしょう。
夕食時も一通り過ぎて消化も進んで来た頃です。そして、もう完全に夜となっていますので、それらの事を合わせると殺人事件を取り扱うアニメにはうってつけというものだったのでしょう。
ミステリーやサスペンスの番組というのは、白昼堂々な時間帯には観たくはないものでしょう。夜になって気持ちがしんみりして来た時に、少し恐ろしい内容のアニメというのは観たくなるものでしょう。
コナン自体の放送時間がその時間が丁度良かったのはこの通りです。
しかし、実はコナンだけではコナンの入り込みやすさは無かったと断言していいのではと思うのが私の考えですね。
まず、コナンとは色々なアニメが隣り合わせになっていったのです。このアニメは日本の歴史に名を残すレベルの長寿作品ですからね。
しかし、それらのアニメは犬夜叉以外は相性が余り良く無かったと思われますね。
例を挙げていくと、同じ推理モノの金田一少年の事件簿ですが、これは比較的コミカルなコナンとは違って、かなりリアルで生々しく、容赦ないレベルのえげつなさという展開も数多く存在しました。
その事によって、便乗効果ではなく曲りなりにも殺人事件を扱うコナンの足を実は引っ張っていたと言ってしまってもいいかも知れません。
(さとうふみや氏にとってはとばっちりもいい所でしょうが)
それに対して、一番コナンと共同していた時期が長い犬夜叉はどうだったのかという事ですね。
これにも、血の描写は少しあります。しかし、それは少年漫画という事もあってごく僅かです。
そして、戦国時代かつファンタジーという現実にはない幻想的な雰囲気で構成されたアニメという訳でした。時代モノであるから和服の描写が日常的に行われていたのも神秘的な雰囲気を醸し出すのに貢献していたでしょう。
これがコナンとは相性抜群だったのではと思う所ですね。現代日本で殺人事件という無骨とも言えるような描写のアニメの前に、神秘的で目の保養となるようなアニメを放送する事で中和剤となっていたのではないかと思われるのですね。要は、コナンが水泳ならば、犬夜叉は準備運動というべきような阿吽の呼吸だったというのが私の見解です。
このようにして、コナンは黄金コンビの犬夜叉を得て燦然とした時代を謳歌してきたと思われます。
しかし、その栄華もずっと続きはしなかったのですね。
犬夜叉はドラゴンボールZやワンピースのようにアニメが原作に追いつかないように時間を掛けて放送するという事がありませんでした。
加えて、恐らくアニメオリジナルの展開というのも少なかったと記憶しております。
あっても、豹猫族とか、妖怪巫女封じとか限られてくるでしょう。
(ちなみに、豹猫族の春嵐は私のイチオシなのですが、それはまた別の話です)
その為に、原作にアニメが追い付いて、暫定的な最終回を迎える事となりました。
犬夜叉そのものとしては、後に(深夜アニメというこのアニメには相応しくはないものでしたが)完結編と称して最後まで放送されるという真っ当な待遇となっているから、その辺りは問題ないでしょう。
しかし……、コナンとしてはこれが迷走の始まりだったという事ですね。
まず、率直に言うとその後すぐに始まった平成ブラックジャックが大問題だったのですよね。
このアニメは遊戯王5D'sにおけるカリスマの権化の極悪人のディヴァインを正しいと思ってアニメゼアルを作った桑原智監督がシリーズ構成を務めたが故に、彼の反倫理的な描写が滲み出ていた問題作となっています。
例を挙げると、まずディヴァインが子供の仇討ちによって葬られた経緯があるので、天然記念物を持ち出して子供よりも治療の優先順位の高い存在を設けるという人間の倫理観では少々受け付けないような話があったり。
極め付きには、ディヴァインが葬られたという経緯があるので自分よりも幸せになる者を許さないという想いから、親に捨てられども十八番の『笑い』でそれを吹き飛ばして懸命に生きていた者を、それすら許さずにアパートに乱入してきた借金取りの暴挙によって喉を損傷して笑う事が出来ずに、最期に思いっきり笑って召されるという子供向けとは思えないような救い様のない話を用意したりとかですね。
率直に言うと、このアニメがコナンの展開の妨げの一因になったというのは言いすぎではないのではないでしょうか。ただでさえ殺人事件という重いテーマを扱うのに、30分前には前述の通りそれ以上の重苦しい話が用意されるというのは気が滅入るという所でしょう。
その後は、『焼きたて! じゃパン』や『結界師』のような重くない作品がノミネートされていった訳ですが、それでも犬夜叉との相性の良さへの渇望や、平成ブラックジャックへの不信感が重なって、コナンへの熱も冷めていったのではなかろうかというのが私の見解という訳なのです。
それらの事があってか、コナンがゴールデンタイムから外されて夕方6時からという時間帯にされてしまったのです。
しかし、率直に言うと、それがコナン向けの時間帯ではないというのが私が思う所という事です。
季節によってはまだ日が出ている時間帯である事も多く、かつ殺人事件を夕食時に扱うという余り心身によろしくないような扱いなので、とてもコナンに合致しているとは思えないというものです。
この事が、前述の日当たりの事に繋がる訳ですね。
人間というものは、最善の環境でないと調子が狂ってしまうというものです。それが日当たりに対する自分の向きが大切という事で証明されているように、コナンも今後はコナンに向いた放送の仕方をしないと低迷していくのではないかというのが私の意見という事なのですよね。
遊戯王でもそういう感じだったと思います。
GXや5D'sでの放送時間であった夕方6時。これはコナンとは逆に夕食時に放送される事でワクワク感を煽っていて遊戯王の全盛期に貢献したと思う所なのですよね。
VRAINSでは満を持して夕方に戻って来たのですけど、それが6時30分と、この30分が大きく、このアニメが半年分切り捨てられて打ち切りになってしまった一因ではないかと思う所なのです。
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